成田空港新線開業1周年記念乗車券

今回の切符これくしょんは、「成田空港新線開業1周年記念乗車券」を紹介いたします。

皆さんご存知の通り、この当時の京成は成田空港ターミナル内への乗り入れを却下された影響で、現在の東成田駅成田空港駅としたうえで空港乗り入れを開始し、駅から空港ターミナルビルの間は成田空港交通の路線バスを用いて連絡するという形を採っていました。

今回の乗車券はそんな時代に発券されたものになります。

 

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入れ物はこのような感じになっています。

表は初代AE車の写真が使われており、裏面はブラウン地に京成の社紋が入ったシンプルなものになっています。

 

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乗車券は3枚組になっていて、うち1枚は上野~成田空港間の往復乗車券、もう1枚は小人用片道乗車券、それに連絡路線バスの乗車券が封入されています。

このほかに前面に発券された空港線開業記念乗車券が'78年切符大賞を受賞した旨を知らせるビラが付属しています。

往復乗車券の券面には当時のスカイライナーの時刻表が記されており、当時から本数を多めに揃えて利便性をアピールしているのが面白いですね。

バスの乗車券の写真に写っている三菱ふそうブルドッグですが、現在は長野県の菅平で農家の倉庫として現存しているらしく、いつかは実見したいものです…。

 

今回は以上です。

碓氷峠鉄道文化むらの保存車 その3

前回に引き続き、碓氷峠鉄道文化むらの保存車を紹介したいと思います。

こちらも2017年3月の訪問時に撮影したものなので、現在と状態が異なる車両があります。

 

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スニ30 8

鉄道博物館に収蔵されているオハ31も含まれる、31系客車の荷物車として造られたもので、のちに救援車として使われました。


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マイネ40 11

戦前に造られた1等寝台車で、のちに保線作業員の休憩用としてオヤ41 2へ改造されました。


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オハユニ61 107

戦後間もない頃に木造客車の鋼体化改造車として登場しました。形式の通り、郵便・荷物・3等車の合造車になっています。


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ナハフ11 1


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オハネ12 29


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オシ17 2055

これら10系客車は昭和30年代に軽量客車として登場したもので、スイスの客車を参考に車体などが軽く造られていたため、牽引定数が小さい碓氷峠の輸送力向上や列車の高速化に貢献しました。

しかし行きすぎた軽量化による火災事故時の脆弱性や、車体の老朽化などが問題となり、早々淘汰されました。

やはりいずれも車体の劣化は否めないですね…。


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12系客車「くつろぎ」

国鉄末期に当時の高崎局がお座敷車として12系を改造したものです。

6両いたうちの2両が園内に保存されているのですが、車体の劣化で雨漏りが生じているらしく、畳が一部腐っていました…。


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ヨ8000形ヨ8841

車掌車の近代化のために造られたもので、現在も一部がJR貨物で現役です。

EF63体験運転に使われています。


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ヨ3500形ヨ3961

1950年代に車掌車の近代化のために造られたもので、1段リンク式だったことから座屈防止のため碓氷峠専用として使われていました。

のちに車内へ変圧器を積んだうえで、ED42の動態保存に使われました。


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ソ300形ソ301

橋梁の架け替えに使われた操重車です。

今や貴重なロコクレーンの現存例です。


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TMC200形モーターカー

ED42の移動に使われています。


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新幹線用軌道確認車GA-100

新幹線の保線用に使われていたもので、2008年ごろにこちらで保存されました。


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新幹線用トンネル点検車

新幹線のトンネルを点検するためのものです。


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訓練用カート

JR東日本の小規模な訓練施設で使われる、電車を模したカートです。

今はE233系タイプのものが用いられていることが多いみたいです。

 

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2021年09月訪問時の様子

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碓氷峠鉄道文化むらの保存車 その2

だいぶ前に書いたっきりで放置していた碓氷峠鉄道文化むらの保存車の記事ですが、来月に訪問する前に仕上げようとやる気になったので、改めて続きを書こうと思います。

訪問したのは2017年の3月なので、現在と状態が異なる車両がいくつかあるかと思います。

 

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D51 96

元々埼玉は長瀞のSLホテルに置かれていたそうです。

ナメクジと呼ばれる独特のカバーを煙室上に付けた初期形の1両です。


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DD51 1

言わずと知れた我国を代表する液体式ディーゼル機関車のトップナンバーです。

恐らくはこれも高崎電気機関車博物館の展示物として保管していたのではないでしょうか…?


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DD53 1

少し前まで新潟で2号機が現役だった除雪用ディーゼル機関車です。

 

以下、高崎電気機関車博物館計画のために集められた電気機関車たちです。


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EF59 1(EF53 8)


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EF53 2(EF59 11)

1932年に当時の高速旅客用として造られた電気機関車で、のちに山陽本線瀬野~八本松間の補機ことEF59へ改造されました。

文化むらには2両がEF53とEF59のそれぞれの姿で保存されています。


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EF15 165

晴れていたので、逆光になる位置に置いてあることからこんな画像しかありません…。

戦後間もない頃に造られた貨物用電気機関車で、EF58とは事実上の兄弟形式らしいです。


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EF58 172

言わずと知れた国鉄ご自慢の旅客用機関車で、スマートな見た目の車体が特徴です。

172号機は一般色のままお召列車を牽引した唯一の車両なのだそうです。


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EF60 501

新性能貨物用機関車として造られたEF60を高速旅客用にしたものですが、性能不足のためEF65形500番代が登場すると貨物用として転用されました。


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EF65 520

これだけは民営化時にJR貨物へ引き継がれてから廃車になったので、電気機関車博物館の展示予定車ではありません。

前面のひさしが特徴的なことから保存されることになったそうです。


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EF30 20

関門トンネル用に造られた、世界初の量産型交直流電気機関車です。塩害対策のためのステンレス製の車体が特徴的ですね。


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EF70 1001

北陸本線用に造られた交流電気機関車で、北陸トンネルの輸送力を増やすために交流機には珍しい6軸動輪を採用しています。

この車両は後に高速貨客用に改造されたため、新たに1000番代に区分されたものです。


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EF80 63

常磐線用に造られた交直流電気機関車です。

EF81とは異なり、のっぺりとした印象なのが面白いですね。

 

以下、気動車と電車です。

 

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キハ20 467

かつての国鉄を代表する一般形気動車で、現在もラストナンバー車が水島臨海を経て、ひたちなか海浜鉄道で現役ですね。

 

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キハ35 901

通勤形気動車キハ35のオールステンレス試作車で、房総地区で用いられたのち、八高線や相模線で活躍しました。


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キニ58 1

常磐線の荷物列車で使われていた古い気動車を置き換えるため、余剰となったキハ58の特別車キロ58から改造されました。列車密度の高い常磐線を非力な機関でカバーするため、2エンジン車なのが特徴です。


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189系クハ189-5+モハ189-5

この当時は補修されずにボロボロの状態で置いてありました…。


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189系クハ189-506

こちらの国鉄色に塗られたものは定期的に補修されているようで、サビや劣化はあまり見受けられません。


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こちらは旧検修庫内にある183系のカットモデルです。

元はJRの訓練センターのシミュレータとして使われていたものとのことでした。

 

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2021年09月訪問時の様子

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入線間もない頃のスノーモンキー

画像フォルダより、子供の頃に撮影した入線間もない頃のスノーモンキーこと長電2100系が出てきたので、ここでお目にかけたいと思います。

全て技量がないにも関わらず、手ブレしやすい長野駅で撮影したので、かなりお見苦しい画像ばかりですが、その辺は大目に見ていただけたら…と思います(苦笑)

 

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こちらは塗装変更前のE2編成です。

同編成は長電入線後は簡単な整備のみで習熟運転に用いられていたため、この塗装はほぼJR時代のままになります。これに対しE1編成は入線直後に屋代工場で車体の補修と長電レッドへの塗装変更が行われたため、現在もそのまま活躍しています。

 

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そしてこちらは別の日に撮影したものですが、連結器にご注目頂ければと思います。

 

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この当時、連結器はJR時代の密着連結器が電気連結器を撤去したうえでそのまま用いられていたため、側面には平成21年06月15日に大宮車両センターで検査を受けた際の表記が残っていました。

 

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連結器はのちに密着自動連結器へ交換されたので、現在は廃棄されたものと思います。

 

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記念乗車券で辿る20周年と60周年

今回の切符これくしょんですが、先日都営浅草線京成電車の直通20周年記念乗車券を入手できたため、それにちなんで去年発売された60周年記念乗車券と併せた2種類の記念乗車券を紹介したいと思います。

京成電車と都営浅草線は1960年12月に押上~浅草橋間で開始されたのを皮切りに、現在に至るまで相互直通運転を行っており、これは日本で初めて地下鉄と郊外電車の直鬱運転を行った事例として紹介されています。直通に当たっては、当時馬車軌やスコッチゲージと呼ばれる1372㎜を採用していた京成が全線に亘る改軌工事を行ったうえでのこととなったため、かなりの大工事を経ての直通となりました。

前置きはここまでに、まずは直通20周年記念乗車券から見ていきましょう。

 

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入れ物はこのような感じで、開けると京成旧3000形と都営5000形のイラストが登場します。

この乗車券は京成単独のもので、後の60周年記念のように都営は関係していません。

 

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乗車券は5枚組で、旧3000形と5000形のイラストや改軌工事の様子が紹介されています。

裏面にはそれぞれのイラストや写真の解説が載っており、ちょっとした読み物として見るのも楽しいです。

 

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その後の7200系

京王3000系や都営6000形に続き、編成の組成が自由すぎて今はどうなっているのか分からなかった、最後まで目蒲線で活躍していた東急7200系についてまとめてみました。

東急7200系は1967年から当時の田園都市線*1目蒲線で経済的な運転ができる車両として投入された電車で、電動車が1M方式であったことから、使用路線の需要に応じて自由に増減できるのが特徴です。そのため1000系の登場や目蒲線の分離などが進んだころから地方私鉄への譲渡が進み、子会社であることから優先的に譲渡された上田電鉄*2を皮切りに、豊橋鉄道十和田観光電鉄の計3社へ行きました。

このうち上田電鉄向けの編成は優先的な譲渡を行うため、目蒲線か池上線で半固定編成として使われていたものをバラしてまで必要分をねん出したらしく、クハ7551のみ側面方向幕を埋めた跡がありました。

その後紆余曲折を経て、目蒲線には4連8本が集結し、これらが目蒲線の分離の際に廃車されたのちに豊橋や十和田へ譲渡されています。今回まとめたのは、これら目蒲線で4連を組んでいた車両が対象です。

 

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4連の組成は4パターンあり、上からMc車+Mc車+M車+Tc車、Mc車+M車+M車+Tc車、Mc車+Mc車+Mc車+Tc車、Mc車+Tc車+Mc車+Tc車となっています。

やはり大半の車両は豊橋鉄道へ譲渡されており、そこから漏れた余剰のMc車2両が十和田へ譲渡されています。

凡例の通り車番背景の色は豊橋における編成を示すものですが、こうして見ると元々組成されていた編成をベースにバラしたうえで、3連に再組成していることがわかります。このうち現在のばら編成の電動車と菊編成のモハ1810は、当初部品取りとして入線したもので、なんやかんやで再組成の際にバラバラに組み直した形になるのが面白いですね。また桜編成も元々組まれていた編成の出自がバラバラなのが興味深いです。

なお上田電鉄から新たにやってきた菊編成のモハ1860+クハ2810のうち、クハは側面方向幕を装備していた車両です。豊橋へ移籍した車両のうち側面方向幕を装備するのは、しでこぶし編成の全車と菜の花編成の電動車で、このうち菊編成のクハを菜の花編成のものと交換すれば、上田への譲渡前に組成していた編成が復活できる*3かと思います。別の編成に組成されているとはいえ、東急時代に同じ編成を組んでいた車両が別の会社を経て再開することになるとは、バラされた当時は考えてもいなかったでしょうね…。

こういうのは調べれば調べるほど面白いので、他の私鉄の譲渡車両も見ていきたいと思います。今回は以上です。

*1:現在の大井町線+田園都市線二子玉川駅以西の区間:渋谷~二子玉川間は玉川線→新玉川線

*2:譲渡当時は上田交通

*3:東急番号デハ7251+デハ7351+クハ7551

小湊鐵道五井機関区の保存車

画像フォルダより、2017年8月の小湊鐵道五井機関区公開時に撮影した保存車が出てきたので、こちらで紹介したいと思います。

五井機関区は内房線小湊鐵道が接続する五井駅構内に存在し、狭いながらも中には貴重な車両が何両か保存されています。

 

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敷地内に入ってすぐのところには3両の蒸気機関車が保存されています。

かつては露天のまま保存されていたものの、現在は屋根がつけられています。


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右側と真ん中にいるのはアメリカ・ボールドウィン社製の1号機と2号機で、プレートがないのが1号機です。

1924年に製造番号57776号および57777号として造られ、小湊鐵道の工事用に輸入されました。それ以降は1956年に廃車されるまで活躍していたとのことです。


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左側にいるのはイギリス・ベーヤーピーコック社製のB104号です。

1894年に当時の日本鉄道向けに造られたもので、同型機は東武鉄道にも在籍していたことが有名ですね。元はテンダ(炭水車)を持つ形態でしたが、のちにこのようなタンク機関車へと改造されました。

1946年に小湊鐵道へ譲渡され、1950年まで活躍していたとのことです。

 

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