走ルンですノート

でんしゃ/バスをメインに適当に

長野電鉄の長野市内線計画

さて皆様は、かつて長野電鉄長野市街地に軌道線(路面電車)を敷設しようと計画していたことはご存知でしょうか…?話だけを聞くと、走ルンですが勝手に妄想しているだけなんじゃないか?と思いたくなりますが、実は本当に敷設することを考えていたのです。

 

時は1923年のこと。当時長野市への進出を虎視眈々と狙っていた、一つの電鉄会社が中信地方にありました。その名を筑摩電気鐡道といい、後に松本電気鉄道を経て、現在はアルピコ交通として、信州全土にトロピカルな白いバスを走らせているあの会社です。この電鉄は同年12月に松本と長野を結ぶ鉄道路線建設の足掛かりとして、長野市の中央通に軌道線を敷設したいと申請を出したのです。

それに驚いたのは設立したばかりの長野電気鐡道、現在の長野電鉄でした。この当時はまだ権堂~須坂間の敷設準備に追われており、このことは寝耳に水的な出来事だったそうです。そして自分の営業圏内である長野市を、中信地方からのこのこ出てきたよそ者に盗られてたまるか!と言わんばかりに、1924年1月に同じ中央通りに軌道線の敷設を申請しました。

こうして筑摩電気鐡道対長野電気鐡道の市内線計画を巡る争いが勃発し、そこへ長野市も市電敷設を計画したことによって、この争いは三つ巴となってしまいました。

このとき筑摩電気鐡道や長野市に対する牽制として、長野電気鐡道は善光寺環状線計画を1924年7月に発表し、そのうち長野~上山田間の路線を同年8月に申請するなどしているのですが、それはまた別のお話です。

 

さて、善光寺環状線計画の長野~上山田間が申請されたのと同じ月に、長野電気鉄道は新たな市内線計画も申請しています。これは長野電鉄創立60周年を記念して発刊された「長野電鉄60年のあゆみ」によれば、次の2路線が申請されています。

市内回遊電車のほうは、二つの路線を計画していた。一つは、末広町を起点にし、大正町・寿町・旭町・西長野・狐池・花咲町・西之門町・元善町・東之門町・淀ヶ橋を経て城山下(旧善光寺下駅)停車場に連絡する路線、もう一つは、寿町より分岐して後町、問御所・千歳町・緑町を経て末広町の長野停車場に至る路線である。

 

引用:長野電鉄60年のあゆみ(1981)

同誌によれば、この計画は善光寺環状線計画と共に沿線民からの期待は高かったようで、沿線町村の代表が敷設促進のために会社へ陳情するなどしたそうで、後の長野電気鐡道と河東鐡道の合併機運を高めるきっかけになったそうです。

 

閑話休題。この「60年のあゆみ」に掲載された1924年の市電計画ですが、恐らく県外の人にとっては、一体どこへ敷設を目論んでいたか見当がつかないものと思います。

そこでGoogle MAP上に路線図を敷設できるサイトの「空想鉄道」を用いて、どんな感じになったのか再現してみました。

 

 

「60年のあゆみ」に記載があった場所を元に打ち込んでみたものの、詳細なルートまでは記載がなかったため、一部想像で作図しています。停留所はどこへ設置されるかという情報もないため、ひとまず主な経由地のみを停留所の代わりに打ち込んであります。

この当時の長野市ですが、まだ長野電鉄長野線は開業しておらず、長野大通りなど一部の通りも存在していませんでした。更に裁判所などをはじめ、一部の施設は現在とは異なる場所に所在していたことにも注意が必要になってきます。

長野駅前は2路線が離れているため、甲線(青色)と乙線(赤色)は環状線としての運転ができない線形となっています。しかし環状線にすると市内回遊電車の利便性が増すため、場合によっては後に環状線へと修正されていた可能性も考えられます。

 

さてこの市内回遊電車ですが、実際に開通していたらどうなっていたでしょう。まず通る予定の道がほとんど狭いもので、昭和30年代のモータリゼーションの影響で他都市同様に廃止されていたものと考えられます。そうでなくとも地元民による反対の影響から、市内の目抜き通りである中央通を迂回するような線形であるため、繁華街への利便性も劣ってしまうことが考えられます。そのため開通したとしても、状況によってはその経営に苦労していたことが考えられます。

また長野電鉄長野線と平面交差するところが2ケ所ほど出てきますが、長野線の架線電圧は直流1500Vであるため、軌道線の電圧が600Vであった場合は架線の処理などが大変なことになりそうです。イメージ的には山陽電車神戸市電の平面交差のごとく、軌道線側を死電区間として処理する形になるのかと思います。

 

以上、長野電鉄による長野市内線計画のお話ですが、もっと深堀すれば様々な事実が出て来ることが考えられます。先にお目にかけた善光寺白馬電鉄小史同様に、今後も調査を進めていきたいと思います。

アルピコ交通若槻営業所(2012年6月 その2)

前回の記事の続きになります。

画像フォルダより、別の日にアルピコ交通若槻営業所を訪問した際の様子を紹介したいと思います。

敷地内の撮影は職員さんの許可を得てから行っています。

 

 

こちらは車庫を出てすぐの道を走行する、元川崎鶴見臨港バスの日野ブルーリボン:40639号車です。

 

 

前回も留置されていた元横浜市交通局(横浜市営バス)の三菱ふそうニューエアロスター:40917号車です。

 

 

こちらも前回留置されていた元川崎市交通局(川崎市営バス)の富士重工7E+いすゞの40759号車です。

 

 

こちらは元国際興業いすゞキュービック:40630号車です。

緑系の内装に元事業者の面影を感じますね。

 

 

こちらも前回留置されていた元山陽バスいすゞキュービック:41061号車です。

 

 

こちらは元東京都交通局(都営バス)の日野ブルーリボン:40500号車です。

前回紹介した40508号車共々、数ヶ月後に元京王バスのニューエアロスター:99416号車へ置き換えられてしまったため、廃車直前の最後の姿ということになります。

 

都交時代にはみんくるが貼られていたであろう場所には、善光寺のステッカーが貼られているのが素敵ですね。

 

 

この車両はアルピコ系列のスーパー・アップルランド(デリシア)で使われた天ぷら油を燃料に使用したBDFを用いており、「天ぷらバス」の名で親しまれていました。

 

 

側面にはかつての主力車・エアロスターKのイラストが描かれていました。

 

 

側面のステッカーは貼り直した形跡がありますが、これは走行試験において燃料におけるBDFの割合を徐々に増していった事によるものです。

後継の99416号車は当初よりBDF100%で走行しております。

 

 

出庫の時間になって出てくるところも撮影していました。

元都営ということもあって、端正なデザインがかっこいいですね。

アルピコ交通若槻営業所(2012年6月 その1)

こちらも画像フォルダより出てきたもので、2012年6月下旬ごろにアルピコ交通若槻営業所を訪問した際の様子です。

敷地内の撮影は職員さんの許可を得てから行っています。

 

 

バス停のある位置から構内を見た様子です。

砂利が敷き詰められた構内にバスがずらりと並んだ様子は見応えがあります。

 

 

東京都交通局(都営バスの)日野ブルーリボン:40508号車の出庫シーンです。

この数ヶ月後に京王バスから転入した三菱ふそうニューエアロスター:99415号車に置き換えられて廃車されてしまいました。よってこれが最後の活躍になります。

 

 

周囲の道路から見ると、いかにも田舎の小さなバス車庫の風情があって楽しい場所でした。

以下、訪問当日の構内に留置されていた車両たちです。

 

 

川崎鶴見臨港バスの日野ブルーリボン:40639号車

長野市街地の路線では主力の一翼として活躍した臨港ブルリですが、現在は全車が鬼籍入りしてしまいました。

 

 

山陽バスいすゞキュービック:41061号車

前中扉を持つワンステップ車です。2022年6月現在も活躍しているそうです。

 

 

川崎市交通局(川崎市バス)の富士重工7E+いすゞ:40759号車

4両のみの少数派だった川崎市バスからの7Eです。割と最近まで現役で走り回っていました。

 

 

横浜市交通局(横浜市営バス)の三菱ふそうニューエアロスター:40917号車と40918号車

2009年に転入してきた車両です。40917号車が標準尺なのに対し、40918号車は短尺という差異があります。他者へ移籍した横浜市営の中古車同様、車内のあちこちに横浜時代の面影が残っています。

 

 

40917号車の車体には横浜市交通局時代に貼られたDPF(排気ガス浄化装置)のステッカーが剥がされずに残されています。

長野へお越しの際に40917号車を見かけた際は、ぜひ注目してみてくださいね。

D51形1001号機(2012年3月の様子)

画像フォルダより、2012年3月に訪問したD51蒸気機関車D51 1001号機を紹介いたします。

D51形に関しては言わずと知れた有名な機関車であるので詳細は省きますが、この1001号機は戦時型のトップナンバーとして製造されたもので、1973年の廃車後は長野県千曲市の更埴体育館にて保存されていました。しかし長年屋外に置かれていたことで状態が悪化してしまい、2017年に解体されてしまいました。

 

 

長いこと整備されていなかったことにより、塗装の劣化やサビ、ライトレンズの欠落などが見受けられました。

戦時型の特有の船底型テンダが特徴的です。

かつては屋代駅の駅名表もあったらしいのですが、訪問時にはすでにありませんでした。

 

 

ささやかな説明板もありました。

2018/07/07 京成電鉄リバイバル成田山号

画像フォルダより、2018年の京成-都交-京急の相互直通50周年記念イベントの一環として運転された、「成田山号」の写真が出てきたので、こちらで公開したいと思います。

 

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当日は駅に臨時の時刻表が掲出されていました。

 

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途中で京急600形606Fと京成3400形の並びが見れました。


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成田駅で乗ってきた3400形と「リバイバル成田山号」としてやってきた京急1500形が並びました。


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成田方に「成田山号」、上野方に「城ケ島マリンパーク号」のヘッドマークが取り付けられていました。


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1500形はこの独特の額縁スタイルがいいですね。


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成田駅にはかつての担ぎ屋が大荷物を置くのに使用した行商台が残されていました。


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その後は折角なので芝山鉄道線にも乗車しました。

2.2㎞の短い路線で、乗車時間はあっという間だったのが印象的でした。

芝山千代田駅には模型などを収めたショーケースもありました。

アルピコ交通97553号車

Twitterを見ていたら来月で引退するらしいと聞いたので、記念に懐かしい写真をいくつか貼りたいと思います。

 

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アルピコ交通97553号車。いすゞジャーニーことKC-LR333Jを、レトロ調に改装した車体が特徴です。

元を辿れば神戸交通振興が市街地循環バス「シティループ」用に導入したもので、当時はダークグリーンに塗られて活躍していました。

その後2010年に当時の松本電気鉄道が市街地循環バス「タウンスニーカー」用に譲受し、その際に現在の茶色とクリームのツートンカラーへ変更されました。

長野に来たのは2013年のことで、当時自社発注のレインボーRJが3両体制で受け持っていたびんずる号の運用に加勢する形で、第3の勤めが始まりました。その際に茶色いボディが茶臼山動物園にいるレッサーパンダの「茶太郎」を髣髴とされることからか、「茶太郎号」の愛称が付与されました。

その後2021年に上高地線の電車代替バスの応援要員として再び松本に戻り、現在も電車代替バスとして活躍をしています。そしてこの度、老朽化により来月を以って引退することが報じられ、びんずる号の装飾のまま松本平に骨を埋めることになったのだそうです。


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現在は車庫と化した長野バスターミナルにて、元京王バスのニューエアロスター99420号車と並んだ様子です。


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レトロ調の車体が善光寺の門前によく似合っていました。


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長野駅善光寺口で撮影したものです。

このときはまだ工事中で、仮停留所からの発着をしていました。

 

97553号車はレトロ調の車体が乗っていて楽しい反面、種車に都市低床タイプを用いなかったことから雨季や冬季の乗り降りが危険なところもあり、少しヒヤヒヤした思い出があります。

そんな懐かしい思い出とともに、あと少しの間は無事故で走り抜いて欲しいものですね。

須坂の車掌車

つい先日、長野県須坂市のトレインギャラリーNAGANOの跡地より「アカガエル」こと長野電鉄2500系C10編成が搬出されておりますが、その近くにはこんなものが置いてあります。

 

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置いてあるのはヨ5000形車掌車で、喜多方ラーメンの店の駐車場に並べて鎮座して店舗として使用されています。

車番は道路側がヨ13581号車で、店舗側がヨ13824号車です。

これらは元々長野市鬼無里*1に置いてあったものを持ってきたらしく、一時は河東線沿線の産廃業者(?)の敷地内に置いてあったことが車窓から確認することができました。


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笹田昌弘氏の車掌車本の解説によると、2両のうちのヨ13581号車には棒デッキだった名残が残っているとのことで、早速確認してみました。

するとやはり棒デッキだったところを改修した跡があり、元々の出自を偲ぶことができました。

この貴重な車掌車が末長く保存されることを祈るばかりです。