のりものこれくしょん改 長野の路線バス

先々月にたまたま買い物に行ったドン・キホーテにて、気になっていたF-Toysの食玩「のりものこれくしょん」の路線バスを購入して以来、すっかりその魅力にハマり、ヤフオクやメルカリなどで色々買い集めています。

そうしているうちに、すでに手元にある個体がダブってしまったため、それを長野県の路線バスへと塗り替えてみました。

 

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製品はニューエアロスターをモデルにしていることから、当然それを導入した事業者ということで、北信地方から長電バス、南信地方から信南交通をピックアップし塗装してみました。

いずれも手持ちのGreenMax製鉄道カラースプレーと今は亡きFmodelのFARBEのスプレーで塗装しています。

金型に合わせて現車とは塗装のアレンジを変えていますが、まぁそれっぽく見えるかな、と思います。

本来は方向幕を作ってあげたいのですが、手持ちのプリンタがシール用紙との相性が極悪だったことがわかり、どうしようか思案しております…。

 

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これらはすでに集めた他のモデルと一緒に百均のコレクションケースに収納しています。

西鉄バスが大量にありますが、いずれもバージョン違いということで集めたものです。

あとは神奈中さえ入手すればコンプリートするのですが、どこを見ても見つからないので、これまた困ってしまいます…どこかで売ってればいいのですが…。

リニューアル後の青梅鉄道公園

本日はリニューアル後としては初めて青梅鉄道公園へ訪問したので、感じたことや変わったことなどを書いてみたいと思います。

 

青梅鉄道公園は、1962年の我国における鉄道開業90周年を機に当地で開園した鉄道公園で、2023年8月にリニューアルを行うべく一時的に閉園していました。

それからはご存知のとおり記念館の建て替えや保存車両の追加設置と屋根の設置、そして遊具の撤去を経て2026年の3月に再オープンいたしました。

 

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園内入口には、長野総合車両センターより移転したED60形電気機関車のED60 1号機が展示されました。

これまで同箇所内でボロボロのまま置かれていたのをいつも目の当たりにしていたものだったので、再塗装されたうえで安住の地を得られたことは喜ばしい反面、屋根周りを見るとパンタグラフの周りが傷んだままという中途半端な感じだったのが少し残念です。

かつては、入口の周りから園内を自由に散策できたのですが、現在は記念館内で入園料を必ず支払うシステムとなっているため、この横から園内を自由に散策できなくなりました。ゆえに、リニューアル前を知っていると不便な感じが否めません…。入園料を必ず徴収したい気持ちはとてもわかりますが、これまでの動線を損なってしまうのは、ちょっと違う感じがしてしまいました。

 

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園内の奥に置かれた古典蒸機たちですが、B6にも屋根がかけられたうえ、ひとまず見た目は綺麗にされています。

しかし、5500形のテンダーの炭庫に落ち葉が積もっていた*1ほか、運転台に錆びて空いた小さな穴がそのままにされているなど、本当に大切にしているのか疑問に感じるところが見受けられました。

たとえ面倒であっても貴重な機関車である事実に変わりはないため、形だけではなく、ちゃんと細部まできちんとお手入れしてあげて欲しいなと思います。

 

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ED16形は以前と変わりなく置かれています。

D51形は隣に201系が搬入されたため、屋根がかけられたのですが、これも貴重な後藤式集煙装置が見えにくくなってしまいました。

そこだけ透明な屋根材にして、記念館の屋根からわかりやすくしてくれると嬉しいですね。


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そしてこちらは今回のリニューアルの目玉である、201系クハ201形のクハ201-1号車です。

ご存知のとおり、大宮総合車両センターで再整備を受けてから搬入されました。

ひとまずは綺麗な状態で嬉しいです。


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クモハ40形も特に変わらず置かれています。

C11形とE10形も115系が搬入されたため、新たに屋根がかけられました。


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こちらも新たに設置された115系クモハ115形クモハ115-1030号車です。

高崎の所属だったため、現役時代にスカ色に塗られたことはなく、こちらへ設置されるために初めてこの色になりました。


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そしてこちらも屋根が設置された0系新幹線電車の22形22-75号車です。

休憩室として使用すべく、室内には日立製の家庭用エアコンが設置されており、床下にはその室外機が吊るされておりました。また、こちらにも屋根が設置されています。

既報のとおり、運転台は逆転レバーのハンドルを紛失しているため封鎖されているのですが、車内も座席裾のテーブルやそのプレートを紛失している箇所が見られました。

 

*1:落ち葉は水分を含んだまま放置した場合、鉄材を腐食させる原因となり得る

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幻の長野電鉄3000系特急車

皆様は長野電鉄3000系と聞くと、まずこちらを思い浮かべるのではないでしょうか?

 

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ご存知、元東京地下鉄(東京メトロ)2号日比谷線で使用していた03系電車を譲受し改造したこちらの車両です…が、これよりも前に同一の形式を名乗る特急車の新造が計画されていた…と聞くと、思い浮かべるのは、20m車体と前面展望構造をもつ車両でしょう。

 

しかし、この前面展望車とは別に、3000系を名乗る特急車が計画されていたことを知る者はあまりいないでしょう。

今回は入手した資料から、長野線地下化前に計画されていた3000系特急車についてお話ししたいと思います。

 

1.長野線連続立体交差化

1981年の2月末まで、長野電鉄(長電)長野線長野-善光寺下間は現在の長野大通りにあたる地上部に敷設されていました。しかし、その線形は長野市の都市中心部を分断し、昭和通りこと国道19号線との交差部の踏切はつねに慢性的な渋滞を引き起こしていたといわれています。これを解決すべく、長電は長野市と長野線の連続立体交差化を図りますが、当初は高架線で建設する方向で話が進みました。これならば在来車を改造する手間もなく、工事費用もさほどかからないからです。

しかし、高架化すると騒音問題や日照権の問題はもとより、どのみち市街地が分断される状態は不可避であるゆえに、都市計画上あまりよろしくないと長野市側が難色を示し、地下化での建設を強く望むようになりました。長電としては車両の改造費や建設費が高くなるため、こちらもこちらで難色を示しますが、両者ならびに長野県との協議の末、県と市が必要な費用をある程度負担することを条件に、地下化での連続立体交差化が決定しました。

 

2.代替車両

さて、地下化が決まるとなると、困ってくるのは在来の旧型車の対応改造です。

1970年現在の地点で在籍する電車のうち、すぐに対応させられるのは2000系特急車4編成と0系OSカー2編成、そして1100系1編成のみで、ほかの車両は徹底的な不燃化改造が必要でした。

これに関する車両計画の詳細は別の記事で解説しますが、さまざまな計画が練られていくなかで、特急車3編成を新造し、それと同数の2000系を格下げ改造を施したうえで各停用へと転用し、旧型車を淘汰していく案が出されました。

これが幻の3000系特急車の新造案です。

 

3.3000系特急車の概要

この3000系特急車は1974年ごろに計画が練られていたらしく、おおむね次のような内容で検討が進められていたそうです。

・18m車体、3両編成

・下り(湯田中・木島)方からMc1+M2+Tc

・三菱製75kW主電動機を使用

・制動装置はHSC-Dを使用

・冷房付(製造費削減のため非冷房とすることも検討された模様)

・新幹線開業後に4連へ増結することを見込んだ構造

・丸ごと新造する案と2000系の機器を流用する案があった

 

色々とすごい情報がポンポン飛び出しておりますが、ちょっとずつ解説していきたいと思います。

まず性能ですが、2000系とあまり大差ないような感じで見込まれていたそうで、駆動装置に関する言及はないものの、恐らくはWNドライブを採用するもの*1と思われます。

計画では新製冷房車となることが見込まれており、これは1974年現在における私鉄特急車のほとんどは冷房付であり、サービスレベルの向上を見込んで考案されていたものと思います。カッコ内の注釈のとおり、製造費を抑えるべく非冷房での製造も検討されており、この場合は長野県内であればまだしも、他の私鉄に比べるとサービスダウンかつ時代錯誤な仕様となることは否めません。実際に隣県の富山地方鉄道は1979年に14760系、富士山麓電気鉄道*23000系の計画が練られていた翌年の1975年に5000系と、それぞれ冷房車を導入しており、比較的冷涼な土地の地方私鉄においても冷房車の導入が進んでいた時期であることを考えても、やはり冷房は必須であると考えます。

そして、読んでいて驚かれるのは下2つのことかと思います。

まず、新幹線開業後の増結を見込んでいることですが、当時北陸新幹線は全国新幹線整備構想で示された路線のひとつに過ぎず、具体的な建設の予定すらなかったところです。そのような状態であるにも関わらず、新幹線開業後の利用増をこのときから見込んでいたのは先見の明があったの一言に尽きるものと思います。

続いて2000系の機器流用ですが、これは車両新造費を抑えるための方法として検討されていたことが伺える構想です。この構想では、製造年が比較的古くNA-4形コイルバネ台車を装備するA編成からC編成の3連分の機器を流用し、新規に冷房付の車体を製造したうえで3000系とするもので、この場合も足回りを外された2000系は、各停用として格下げ改造を行うものとされていました。このとき、2000系には旧型車と同等の65kW主電動機をもつ吊り掛け駆動式の足回りを取り付けるほか、ブレーキ装置も旧型車と同一のものへ変更したうえで、1100系へと編入することが見込まれていました。3編成あるうちのA編成とB編成は2M1Tの3連、C編成は制御電動車同士で2Mの2連と付随車を電装化したうえで、モハ1062の改造車と組み合わせた2Mの2連へと分割することを検討していたらしく、実現していたらどのようになっていたのか気になるところです。

なお、2000系の格下げ自体に関しては、3000系を足回りを含めて新造する場合であっても、車内を各停用と同一にする旨(最低限考えられるメニューとして、座席のロングシート化と吊革の設置)が資料にメモされておりました。

4.もしも実現していたら…

最後に、もしもこの特急車が実現していた場合の状況について、少し考えてみたいと思います。

まず、車両の見付についてですが、やはり特急車ということもあってそれなりのデザインが施されることは容易に想像できます。資料においても具体的なデザインの指示はないものの、前面は非貫通とすることは編成表などに記されています。

この形式が製造されるのは、地下化直前の1970年代後半ということもあり、そのデザインには同時期の私鉄電車らしさが少なからず入っていたことでしょう。ひょっとしたら、富山地方鉄道の14760系のような感じになっていたのかもしれません。

そのほか、側窓もユニットサッシが採用されているでしょうし、台車も機器流用でなければ空気バネ台車、車内の座席も転換クロスシートが採用されていたことでしょう。

 

 

3000系特急車のイメージを適当に作画してみました。

同年代の日車製ロマンスカーである富山地方鉄道14760系に近い感じになったのでしょうかね。


4-1.その後の展開

4-1-1.2000系の動向(機器流用がなく格下げとなった場合)

機器流用を行うことなく格下げする計画では、その対象はA編成とB編成が見込まれていました。逆に特急車として残存が見込まれていたのはC編成とD編成で、この場合の特急車は5本体制となります。

特急車が5本体制になるということは、おそらくは先述の北陸新幹線開業後の観光需要に伴う特急列車の増発を見込んでいたものと思います。ただし、史実通り北陸新幹線の開業が1997年、長野オリンピックの開催が1998年であった場合、オリンピック終了後に輸送需要が徐々に減少していくため、車齢が一番古い2000系C編成は、その地点で廃車されていたものと考えます。ゆえに、D編成は内装の更新や冷房化などの改造が施工される一方、C編成は非冷房かつ原型のまま廃車されていたと考えます。

格下げされた2000系は、2扉のままであった場合、車内をロングシートへ改造していても朝ラッシュ時の乗降に支障することは0系OSカーの誕生経緯からして確実であり、吊り掛け駆動のまま使用される初代1000系や1100系などと同様にダイヤの足を引っ張る存在であることは確かなものになると考えます。ゆえにオリンピックの前後で史実通り帝都高速度交通営団*33000系を譲受することで、早期に置き換えられていたものと考えます。

 

4-1-2.2000系の動向(機器流用の場合)

特急車として唯一残存するD編成に関しては、唯一の非冷房特急車となることから、地下化前後の車両整備が落ち着き次第、冷房化改造が施行されていたことでしょう。1100系へと格下げされた編成は各停として全線で使用されるものと思いますが、旧弊な吊り掛け駆動車であることは否めず、いずれは足回りに起因する機器類の老朽化や整備の困難などの諸問題に行き当たり、カルダン駆動やWNドライブの新性能車へと置き換えられることでしょう。ゆえにこの場合でも、1990年代に入ると史実通り営団地下鉄3000系の入線でOSカーを除いてすべて淘汰されているものと考えます。

以上のことから、3000系の影響で格下げされた2000系の引退が早められてしまうことは、どの場合であっても確実であると言えるでしょう。

 

4-2-1.3000系の動向

そして3000系特急車ですが、1970年代後半に製造されたとすると、2000年代前半をもって一般的に更新修繕が必要となる年数である25年前後に達することから、冷房付の特急車であることを鑑みて更新修繕されるか、あるいは置き換えが得策と判断された場合は史実通り他社から譲受した特急車によって淘汰されるでしょう。特に2000系の足回りを流用した場合は、史実通り営団3000系の足回りへと更新しない限りは走行機器類の老朽化も考えられることから、この場合も置き換えが得策と判断された場合は淘汰がなされたでしょう。

更新修繕が施工された場合、2020年代後半で車齢が50年に達することから、この前後で新たな特急車によって置き換えがなされるものと考えます。2025年8月1日現在において、短編成を組成できて、かつ即戦力として活用できる特急車の廃車はないため、もしかすると新造あるいは秩父鉄道のように中古の通勤形からの改造*4が必要になるのかもしれません。

 

以上、地下化前の検討資料に記載されていた、幻の3000系特急車の話でした。それに伴う車両計画の話も作図は完了しているため、いずれは記事で紹介したいと思います。そのときまで、今しばらくお待ちくださいませ…。

*1:機器流用の場合は絶対にWNドライブになる

*2:当時は富士急行

*3:営団地下鉄:現在の東京地下鉄

*4:蛇足だが、秩父においては3000系の代替として103系や東急8500系を改造することも検討されていたことが、鉄道ピクトリアルの記事で明かされている

ラリック美術館のプルマンカー

本来であれば昨年末に投稿すべきだったのですが、諸般の事情によりこの時期にズレてしまいました(オイ

今回は昨年末に訪問した、箱根ラリック美術館に保存されているプルマンカーの4158号車を紹介したいと思います。

 

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こちらをお読みの方はご存知でいらっしゃると思いますが、神奈川県箱根町に所在する箱根ラリック美術館では、実際にオリエント急行で使用されていたプルマンカー(プルマン式食堂車)の4158号車が静態保存されており、その車内をカフェとして利用しています。

車両自体にラリックの手掛けたガラス装飾が施されているとのことですが、詳細は後述いたします。


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足回りには連絡船積載時に船体へと固定するための航送用フック掛けがあったり、他国へ直通する際の必要事項が書かれたプレートがあったりと、国際的に運用されていた名残がありました。

台車はもちろんオリジナルのものです。


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車内はこのような感じで、木造の暖かい雰囲気がありました。

調度品なども実際に使用されていたものだそうです。


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個室食堂は窓越しに見ることができました。

かつてJR東日本に在籍していた24系900代車「夢空間」に影響を及ぼしたというのも納得です。


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ドア下のステップには銘板が嵌め込まれていました。


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車端部には自重表記があります。

なお、妻面には日本で走行した際に追記された「東シナ」の所属表記や形式表記などがそのままであると言われていますが、どこかしらのタイミングで消去したらしく、現車には記載されていないどころか、その痕跡すら見られませんでした。

光の当たり具合で上塗りして消した跡が見えるかと思いきや、それすらなかったので、恐らくは完全に消去したうえで再塗装したのでしょうか。

ポッポの丘の保存車 2026/02

社畜ゆえに仕事に振り回されてしまい、新年初の投稿が2月末にずれてしまいました。

今回は昨日訪問した、千葉県いすみ市に所在する「ポッポの丘」に保存されている車両を貼っていきたいと思います。

 

ポッポの丘は2010年に開設された鉄道車両の展示施設で、広い屋外の敷地に所狭しと並べられた車両群が見どころです。

園内には卵かけご飯で有名な売店もあり、結構充実していて楽しめました。

 

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いすみ鉄道いすみ200'形いすみ204号車

当施設が開設されるきっかけとなった車両です。

いすみ鉄道がJRから転換された際の開業用として富士重工業で7両が製造されたレールバスの「LE-CAR」です。

当初の形式はいすみ100形だったのですが、座席のロングシート化でいすみ200形へと改称され、次いで床材の更新でいすみ200´形へと改称されました。

7両いたうちの車番が偶数のものは奇しくもすべて千葉県内で静態保存されており、逆に奇数のものはすべてミャンマー国鉄へ譲渡されています。

 

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北陸鉄道3750形モハ3752号車

こちらも開園時からある車両です。

元は河南線用のクロスシート車モハ5000形として登場したのち、新型車の登場で石川総線へと異動し、車体更新やロングシート化などを経て2000年代以降も残存したものになります。

僚車のモハ3751号車は石川県内で保存されています。


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銚子電気鉄道700形デハ701号車&デハ702号車

元近江鉄道モハ50形で、客車ハフ1形の置き換え用に譲受されました。

片運転台だったものを両運転台としたため、前後で前面形状が異なります。

いずれも海に近いところで使用されたためか、車体の痛みがとても激しく、特にデハ701号車は片方の運転台機器がごっそりなくなっており、少し心配なところが見受けられました。


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万葉線7050形デ7052号車

万葉線が加越能鉄道だった頃に3両が製造されたものです。

東京都交通局(都電)8000形をベースにしているため、それを模した塗装へ変更されています。

車内はガチャガチャの自販機が陳列されていました。

 

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583系サシ581-31号車

583系用の食堂車として製造されたもので、青森県の個人が所有していたものを保存会が引き取りのうえ、当地へ搬入されました。

床下機器はごっそり撤去されており、無造作に切り離された配線がとても目立ちます。

手前には復元される予定の連結器と胴受けが置いてあります。


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その横には、同じく復元予定の水タンクとトイレタンクも置かれていました。


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24系オハネフ25形オハネフ25 211号車

いわゆる24系25形のB寝台を備えた緩急車です。

カットモデルにされているのは、廃車後に東京で開催されたイベント「大鉄道博」(当時行きたかったな…)に展示されたためで、終了後に北関東へ移設されたのち、当施設へやってきました。

車内は更新されたモケットが特徴的で、窓越しに見ることができます。


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千葉都市モノレール1000形1003号車+1004号車

千葉都市モノレールの開業時に用意された1000形の第2編成です。

車内は受付や売店に使用されています。


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少し離れたところには、同車の台車が保存されています。


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その隣には古い台車が3基保存されています。

 

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キハ38形キハ38 1号車

国鉄末期にキハ35形の車体更新車として造られたものですが、エンジンなどは新品が用いられています。

当初は八高線で使用されていたのですが、のちに久留里線で使用されました。

初代久留里線色に塗られていて、車内はギャラリーとして利用されています。


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クモニ83形クモニ83006号車

73系電車の機器類を利用して造られた荷物電車です。

廃車後は東芝府中工場内の試験車として使用されていました。


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103系クハ103-525号車

ご存じ103系のクハ103形で、クモハ103形を含む編成の制御付随車であるため500番代を名乗っています。

こちらも東芝府中工場でクモハ103形と開発試験に使用されたものです。

 

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除雪機械+ヨ8000形車掌車


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浜松工場製入換動車+ヨ5000形車掌車

 

これらは動態保存されており、ゲリラ的に開催される体験乗車にて乗ることができます。

実際に乗車した感想ですが、やはり低速とはいえヨ8000形の方が圧倒的に乗り心地が良かったです。ヨ5000形は足回りからくる振動がダイレクトに伝わってきて、当時の車掌の体験談で乗るのがしんどかったという話も納得でした。

 

なお、入換動車はJR東日本長野訓練センターで使用されたため、側面に機械財産票が貼られています。


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帝都高速度交通営団(営団地下鉄)400形モハ454号車

営団地下鉄丸ノ内線で使用されていたもので、廃車後に日本橋の三越で売られていた車両そのものだそうです。

都内の幼稚園に引き取られたものの、改築工事で解体する予定だったのを引き取ったそうです。

中間に連結されていたため、ホロ枠などが追加されています。


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立山黒部貫光8000形8005号車

つい最近やってきたトロリーバスです。

関西電力300形に準じた造りですが、前面に行先表示が追加されています。


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小田急電鉄2200形

小田急から富士急行(富士山麓電気鉄道)を経て山梨県内に保存されていたものです。


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京浜急行電鉄旧1000形

栃木県の企業「赤い電車」が保存していたもので、前頭部のみのカットモデルです。


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後ろを見ると切断された配線や屋根周りがよく見えます。


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大山ケーブルカー「たんざわ」号

修繕中で塗装が剥がされていました。


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DE10形DE10 30号機

24系オロネ24形オロネ24 2号車

24系オハネフ24形オハネフ24 2号車

以上3両が連結した状態(実際にはDE10形と24系は連結されてない)で置かれています。

DE10形は船の科学館にあった羊蹄丸の中で保存されていたもので、エンジンなどは外されているそうです。

この日はいずれも車内や運転台を見学することができました。


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113系クハ113形クハ113-1072/2152号車

183系クハ183形クハ183-21/1527号車

いずれも千葉にゆかりのある国鉄型車両です。

183系0代車と113系のカットモデルは、以前長野県の民宿「夢ハウスあずさ」で素泊り用として置かれていたのですが、こちらへ移転しています。


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加悦鉄道4号機(河東鉄道3号機)+ヨ6000形

最近加悦SL広場から移転した4号機です。

元河東鉄道、つまり長野電鉄で活躍した機関車なので、できれば長野で保存して欲しかったなと思います…。

でも、こうして違う場所でもきちんと残っていてよかったです。


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長野電鉄1000系モハ1003号(2代目)

最後にこちらです。

このような姿なのは非常に残念ですが、跡形もなく解体されてしまった2000系A編成や3500系O1編成を思うと、残っているだけでも感謝です。

小布施駅にいつもいたのが懐かしくなりました。

欲を言えば丸ごと残して欲しかったですが、場所の都合もありますし致し方ないでしょう。

 

以上、ポッポの丘の保存車でした。

KATO 10-1851/1852 211系長野色

本日は予約していたKATOの10-1851/1852こと、211系長野色を引き取ってきましたので、開封した様子を紹介したいと思います。

 

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手前2編成が10-1852こと211系3000代車長野色、奥が10-1851こと211系0代車長野色です。

フルリニューアルをした新製品としては、初の長野色を纏うナノ車が登場しました。

店頭で確認したときも、そのクオリティの良さに思わずニンマリしてしまいましたw

 

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前頭部の比較用に上り方先頭車を並べてみました。

左が0代車、右が3000代車です。

0代車は電連やホロがない姿がきちんと再現されているのがいいですね。

こうして見ると、3000代車の尾灯が前照灯よりも少し小さいのも微妙に判るようなわからないような……。

 

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少し上から俯瞰するとこんな感じです。

JRマークが後から貼られた0代車はガラス面にJRマークが印刷されており、現車同様の実感的な感じがします。

 

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こちらは3000代車を旧製品(奥)と並べた様子です。

ベンチレータや避雷器が別体化されているのがリアルでいいですね。


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新製品はボディマウントタイプのKATOカプラーなので、旧製品よりも連結面が1mmほど短いように感じます。


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前頭部を比較した様子です。

左が旧製品です。

旧製品は前面の種別表示がステッカーだったのに対し、新製品では印刷済のブロックになっているので、上手く貼れなくて剥がれてしまうことがないのが嬉しいです。

貫通路の手すりが少し立体的になっているのと、ライトケースの大きさの違いも少し目立ちますね。

新製品になって改善されたのがわかります。

なお、新製品ではスロットレスモーターを使用しており、磁力が強いことからそのままではTOMIX製の分岐器を勝手に転換させてしまう不具合が出てしまうため、改良してあげる必要があります。

 

今回は以上です。

とりあえずの乗り潰し旅行

本日は、暇だったので朝から乗ってない路線の乗り潰し旅行をしていました。

 

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まずは水戸線に乗るため、常磐線の中電で友部駅へ向かいます。

朝早かったので、途中で寝落ちしながらも友部駅までグリーン車でゆったり移動しました。


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友部駅のコンコースには、電車型のベンチが置いてありました。

最近いろんなとこで見かけますね(笑)


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待ってる間にやってきたE531系の付属編成です。

勝田行きなのですが、なんと5両編成のワンマン運転です。

中編成ワンマン運転がだいぶ広まっているのにビックリで、恥ずかしながら浦島太郎状態です(笑)


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続いてE657系カツK3編成の特急ひたち号が来ました。

E653系の付属編成が纏っていたオレンジパーシモン色ですが、E657系にもなかなか似合いますね。


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さて、勝田方から常磐線直通の水戸線列車が来たので、これで小山駅まで行きました。

やはりE531系のワンマン運転です。

ボックス席が空いてたので、そこでぼんやりしながら乗り潰しました…。

 

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小山駅からは、高崎駅まで両毛線を乗り潰しました。

車両は高崎車両センターの211系3000代車です。

首都圏のJR線ではあまり聞けない直流モータの音をお供に2時間近く揺られていました。

体感的に篠ノ井線よりも長いこと乗っていたような気がするのですが、やはり座席が柔らかすぎて腰と尻の負担が大きかったです。


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高崎駅で降りると、目の前にEast i-Dが停車していました。

本日は八高線の検測をしていたらしく、このあと八高線の非電化区間を乗り潰したときにも目撃しました。


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本日は高崎からそのまま八高線へ乗り継いで大回りをしようかと思ったのですが、急に上信電鉄へ乗りたくなったので、改札で精算してから上信電鉄のりばへ向かいました。

フリー乗車券を窓口で購入し、ホームへ向かいます。


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ホームの先には廃車となったデハ203号を用いた休憩室がありますが、引き続き自販機以外は使えない状態です。

下仁田方は211系のグリーン車から外したリクライニングシートだそうですが、もちろん近くで見ることはできません。


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今回乗ったのは6000系でした。

独特の外観が楽しいですね。


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途中の上州福島駅でテム車を見たり、上州富岡駅では西武カラーの500形501Fを見たりと、なかなか楽しかったです。

 

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終点の下仁田駅は、味のある木造駅舎がいいですね。


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構内には250形デハ251号と1000系クハ1301号が停まっていました。


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改札外の公道からクハ1301号を見てみました。

先頭車化改造を受けたので独特の表情をしています。冷房は泉北高速鉄道100系の中古品を取り付けたとのことです。

 

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発車まで乗ってきた6000系の車内を見ていました。

運転台は地方私鉄の自社発注車にしては珍しく、ワンハンドルマスコンが採用されています。

新潟鐵工所の銘板や、昔の都営地下鉄のような吊り革も味がありますね。

ツーマン時代の名残として、車内にドアスイッチと合図用ブザがあり、後者はそのまま車警装置に転用されています。


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帰りはコーラルレッドの700形や500形503Fなどを見れました。


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高崎駅からはキハ110系に乗って、八高線の非電化区間を乗り潰します。

やはり座席が柔らかすぎるのと、混んでるのとで長いこと乗ってるのは正直しんどかったです…。

窓もロングシート部は固定窓で開けられないので、換気ができないのもしんどさに輪をかけるように思えます…。


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先ほど申した通り、八高線を検測していたEast i-Dと離合しました。

周りの旅客も見慣れぬ車両に少し戸惑っていました。


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高麗川駅からは川越線埼京線を乗り継いで東京へ帰ります。

ワンマン区間E231系3000代車に乗ったのですが、やはりあの座席が腰痛持ちには快適です。

程よい硬さなので、長いこと座っていても苦にならないのと、混んでいるときに窓を開けて換気もできるのが嬉しいところです。


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川越駅からは東臨70-000形のトリZ1編成に乗ることができました。

新しいものの一部はJR九州へ譲渡されていますが、古い方の編成の処遇はなんとも言えないところがあります。

これもいつまで乗れるかわからないので、今のうちに乗り納めしておきたいですね。

 

今回は以上です。