その後の7200系

京王3000系や都営6000形に続き、編成の組成が自由すぎて今はどうなっているのか分からなかった、最後まで目蒲線で活躍していた東急7200系についてまとめてみました。

東急7200系は1967年から当時の田園都市線*1目蒲線で経済的な運転ができる車両として投入された電車で、電動車が1M方式であったことから、使用路線の需要に応じて自由に増減できるのが特徴です。そのため1000系の登場や目蒲線の分離などが進んだころから地方私鉄への譲渡が進み、子会社であることから優先的に譲渡された上田電鉄*2を皮切りに、豊橋鉄道十和田観光電鉄の計3社へ行きました。

このうち上田電鉄向けの編成は優先的な譲渡を行うため、目蒲線か池上線で半固定編成として使われていたものをバラしてまで必要分をねん出したらしく、クハ7551のみ側面方向幕を埋めた跡がありました。

その後紆余曲折を経て、目蒲線には4連8本が集結し、これらが目蒲線の分離の際に廃車されたのちに豊橋や十和田へ譲渡されています。今回まとめたのは、これら目蒲線で4連を組んでいた車両が対象です。

 

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4連の組成は4パターンあり、上からMc車+Mc車+M車+Tc車、Mc車+M車+M車+Tc車、Mc車+Mc車+Mc車+Tc車、Mc車+Tc車+Mc車+Tc車となっています。

やはり大半の車両は豊橋鉄道へ譲渡されており、そこから漏れた余剰のMc車2両が十和田へ譲渡されています。

凡例の通り車番背景の色は豊橋における編成を示すものですが、こうして見ると元々組成されていた編成をベースにバラしたうえで、3連に再組成していることがわかります。このうち現在のばら編成の電動車と菊編成のモハ1810は、当初部品取りとして入線したもので、なんやかんやで再組成の際にバラバラに組み直した形になるのが面白いですね。また桜編成も元々組まれていた編成の出自がバラバラなのが興味深いです。

なお上田電鉄から新たにやってきた菊編成のモハ1860+クハ2810のうち、クハは側面方向幕を装備していた車両です。豊橋へ移籍した車両のうち側面方向幕を装備するのは、しでこぶし編成の全車と菜の花編成の電動車で、このうち菊編成のクハを菜の花編成のものと交換すれば、上田への譲渡前に組成していた編成が復活できる*3かと思います。別の編成に組成されているとはいえ、東急時代に同じ編成を組んでいた車両が別の会社を経て再開することになるとは、バラされた当時は考えてもいなかったでしょうね…。

こういうのは調べれば調べるほど面白いので、他の私鉄の譲渡車両も見ていきたいと思います。今回は以上です。

*1:現在の大井町線+田園都市線二子玉川駅以西の区間:渋谷~二子玉川間は玉川線→新玉川線

*2:譲渡当時は上田交通

*3:東急番号デハ7251+デハ7351+クハ7551