貫通ホロパーツ 狭幅Aを試す

先日、GMこと GreenMaxの派生ブランドであるCrossPointから発売された「貫通ホロパーツ 狭幅A」たる部品。これまでNゲージ用の貫通ホロといえば単なる枠状のものに過ぎなかったのが、細部の把手までリアルに再現された非常に出来のいいものになっています。

 

(参考:グリーンマックスofficial @Model_Greenmaxより)

 

というわけで、早速試しにいくつか買って手持ちの電車に取り付けてみることにしました。

 

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製品自体は前から発売されている広幅貫通ホロと同じ感じのパッケージに入ってます。

ただし精密に再現されているだけあって6個で¥1,100.-(税込)と、それなりに単価も高いです…(苦笑)

走ルンです的には目立つ前頭部だけこれを用いて、編成間には前から売られてる製品や、TOMIX分売パーツ、そしてKATOのassyを用いることをオススメします…。その中でも特にこだわりのない限りは、以下の2点のお買い求めを強くオススメします。単価が安くてなおかつたくさん入っているので、いくつかストックしておくと安心でしょう。

 

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閑話休題。実際に製品を取り出すとこんな感じです。

下の方にゲートが残っているので、取付前にニッパーやカッター等の刃物で切り落とす必要があります。

それでもこれまではメチャクチャ細かい金属パーツをやっと取り付けないとできないようなものが、プラ量産品で手に入るのは有り難いですね〜

 

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そしてこちらは手持ちのTOMIXしなの鉄道115系と169系に取り付けたものになります。

ホロ枠を黒で塗ってから固定金具を銀で色差ししたのですが、視力が極端に悪い走ルンですには辛い作業でした…。必要に応じてルーペ等があった方がやりやすいかもしれません(?

 

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GM公式の案内ではTNカプラーを採用した車両は削るか片側のみ取り付ける旨がアナウンスされていますが、最初からTNカプラーを取り付けることが前提になっているTOMIX製品や鉄コレなどは、削ったり片側だけ取り付けたりしなくても、そのまま取り付けられるみたいです。

ご覧の通り、今回の製品+製品付属のホロパーツでも、まだまだ車間に余裕があるのがお分かりいただけるかと思います(?

なお115系や169系は基本的に編成の片側の前面にしか貫通ホロが付かないので、走ルンですの場合は実物同様クモハには接着・取り付けして、クハは脱着可能な製品付属のものを必要に応じて取り付けています。

 

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ついでに鉄コレの長野電鉄0系OSカーにも奢ろうと思ったのですが、寸法が従来の製品より若干大きめなため、切り詰めなどの加工をしない限り取り付けることができませんでした…。

そのため私鉄電車の前頭部には以下の商品を使うことをオススメします。

Nゲージ 8619 貫通幌 (角型 グレー)

Nゲージ 8619 貫通幌 (角型 グレー)

  • 発売日: 2013/10/19
  • メディア: おもちゃ&ホビー
 

今のところ長野電鉄の車両しか取り付けるようなものが手元にないのですが、これならちょうど良い寸法なので、前面に貫通ホロが付く私鉄電車を安価にディテールアップすることができます。

GMステマのような記事になってしまいましたが、皆様もぜひ試してみてくださいね!

長野電鉄2000系D編成

先週の長野旅行では小布施駅に立ち寄って、久々にこの電車を見てきました。

 

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駅の構内にある「ながでん電車の広場」という展示施設に保存されている2000系D編成です。

この電車はあまりにも有名ですが一応軽く説明すると、昭和39年に特急の増発用として日本車輌本店*1で製造されたものです。先に登場していたA〜C編成とは異なり、スカートの取付や屋根構造の変更、空気バネ台車の採用などの設計変更が行われています。また他の編成がマルーンに白帯で登場したのに対し、これだけは「栗饅頭」と呼ばれたマルーンとクリームのツートンカラーで登場しています。

1989年にはB編成と共に車体の更新工事が施工され、窓枠のユニットサッシ化やシートモケットの張り替え、冷房化が行われました。その後しばらくは窓枠を赤く塗っただけのリンゴ色でしたが、後にクリームに赤帯の塗装へ変更されました。

2007年には長電特急50周年記念の一環で再度リンゴ色に戻され、2012年夏の引退時まで活躍していました。

現在も車籍は残っているらしく、休車としてジェー・アール・アールの私鉄車両編成表にも一応在籍している旨が記載されています。

 

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そろそろお色直ししてほしいくらいガサガサですが、独特の丸顔は健在です。

 

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長野方先頭車のモハ2008の車内は立ち入ることができるので、久しぶり乗ってみました。

自分は沿線にある某小中一貫校に通っていたため必然的に電車通学だったので、毎朝この電車に乗っていたことを思い出しました。また塾からの帰りに信濃吉田駅から自宅の最寄りの一つ先までB特急に乗り、そこからバスで帰ったこともありました。本当に懐かしいです。

信濃川田駅や志賀高原における保存計画が軒並み頓挫したいま、思い出の電車としてずっと残して欲しいものです…。*2

 

2022/03/26 追記:一部画像を追加しました。

*1:現在の日本車輌豊川工場。当時は蕨の東京支店も存在しており、A〜C編成や0系OSカーが製造された。

*2:できれば2000系の手前の空きスペースに10系OSカーも保存して欲しかったのだが……

地下鉄開通1周年記念入場券

先月は地下線開業40周年記念乗車券が発売された長野電鉄ですが、今回は歴史をさかのぼること39年前に発売された「地下鉄開通1周年記念入場券」を紹介したいと思います。先月発売されたものは乗車券3枚と入場券5枚の8枚セット*1ですが、こちらは各駅の入場券が4枚セットになっています。

まずは入れ物からお目にかけましょう。

 

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落成したばかりの新車・10系OSカーのイラストが印刷されたもので、新しく生まれ変わった長野電鉄長野線を印象付ける感じが目を引きます。

ただ運転席側のワイパーの向きが明後日の方向を向いているあたり、鉄道ジャーナルなどに掲載された日本車輛で落成した直後の写真を基に作画したみたいです。

 

続いて乗車券です。

 

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開業してから1年しか経過していないため、現在のような煤けた感じではなく、何もかもが真新しい感じでいいですね。

先月発売されたのは硬券に小さいモノクロ写真が印刷されたものなので、こちらと比べると正直ショボい感じが否めないですね…。まぁ現在の長野電鉄は窓口で硬券の入場券が買えることを売りにしているので、時の流れと共に価値観が変わったのかもしれません。ただ使われている写真は同じものなので、こちらからは小さなモノクロ写真からでは感じられないものがあると思います。

また善光寺下駅の写真が駅構内ではなく地下への取付部となっているのが、当時の様子を窺えないようで個人的には残念です…。

 

長野電鉄の記念乗車券はまだまだたくさんあるので、ズクがあったら他にも公開しようと思います。今回は以上です。

 

関連記事:

地下線開業記念乗車券の紹介

mc127-100.hatenablog.com

 

地下線開通記念に配布された下敷の紹介

 

mc127-100.hatenablog.com

 

mc127-100.hatenablog.com

*1:ただし駅ごとに購入する必要がある

D51 401

昨日は友人と長野へ行ったため、久々にこの車両を見ることができました。

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桜の名所として有名な臥竜公園にある、須坂市動物園の園内に保存されているD51 401です。

幼い頃から親に連れられ同地を訪れていた私にとっては、10年以上ぶりに再来したことになります。

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木曽福島機関区に所属し中央西線で走っていたことから、煙突には長野式集煙装置が取り付けられているのが特徴です。

一見すると綺麗な状態を保っていますが、所々にサビによってできた穴があったり、再塗装に伴い施工された車体表記のペイントが適当な書体だったりというのが見受けられました…。

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特製のタラップから運転台に上がれるので、中の様子を撮影しました。

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スイッチ類は銘板の上から達筆な書体で機能が書かれており、恐らくは現役時代からのものと思います。

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恐らくは再整備に合わせてATSのプレートまで塗り潰したらしく、手書きの雑な字で再現されているのが残念です…。

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最後にこちらが解説板です。

長野市の100円バス

今から5年ほど前まで長野市中心部の路線バスは100円均一で乗れる100円バスでした。

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市内の停留所には100円ゾーンの看板が設置されるとともに、標識にも100円バスを案内する記述がありました。

現在は利用者の減少に伴い100円バスは撤廃されてしまい、通常の料金で運気宇しているそうです。長野市のような地方都市の厳しさを感じますね。

 

またこの当時はぐるりん号も中央通りを経由するルートで運行されており、車両もエアロミディが用いられていました。

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ぐるりん号には68号車から70号車までの3両が使われており、このうち68号車だけ長電バスが運行し、残りの2両はアルピコが運行していました。現在これらの車両は、ぐるりん号をはじめとするコミュニティバスの予備車や閑散路線で運行されているとのことで、機会があれば乗りに行きたいと思います…。

とりあえず写真を貼りたかっただけなので、今回は以上です(笑)

アルピコ交通上高地線の電車について

現在、長野県内に存在する純粋な私鉄は長野電鉄上田電鉄、そしてアルピコ交通の3社が存在します。このうち長野電鉄上田電鉄は、「オタクな中の人」の大先輩格である小林宇一郎氏や宮田道一氏*1などによってまとめられた書籍が多数あるため、令和の今でも開業時の様子などを知る事が出来ます。

しかしアルピコ交通にはそのような人がいなかったらしく、纏められたものがあっても路面電車の浅間線くらいしか詳細なものがありません。これでは開業からモハ10や5000系を経て今に至るまで、どんな車両が出入りしたのか分からずじまいなので、今回調べてまとめてみることにしました。

そもそも上高地線とは何ぞや?という方の為に軽く解説すると、上高地線1921年10月02日に筑摩鐡道の手によって松本~新村間6.2㎞が開通したのを皮切りに、1922年9月26日には全線に当たる波多~島々間が開通した、全長15㎞程の路線です。1983年に発生した台風の影響で新島々~島々間の路盤が埋まってしまったことにより、同区間が1985年に廃止されたため、現在は松本~新島々間約14㎞の路線になりました。開業時は4輪単車を用いていたものが、木造ボギー車やその鋼体化改造車を経て、年を追うごとに車両の近代化が進んでいます。この記事では開業時に在籍した電車から順に、5つの時代に分けてまとめていこうと思います。

 

 

1:開業時の木造単車

・デハ1形

デハ1~デハ3

1921年10月名古屋電車製作所製。ポール集電の4輪単車。1924年に軌道線(浅間線)開業用として転用。1926年にボギー車の投入に伴い布引電気鐡道へ譲渡。

デハ4

1921年11月名古屋電車製作所製。ポール集電の4輪単車。廃車時期不明。

・デワ1形

デワ1,デワ2

1921年10月名古屋電車製作所製。有蓋電動貨車であるが、一般に閲覧が可能な写真・図面等の資料が皆無のため、形態は不明。デワ2は1926年にデハ1~デハ3と共に布引電気鐡道へ譲渡されたが、デワ1の廃車時期は不明。

・ハフ1形

ハフ1,ハフ2

元甲武鐡道デ963形デ968・デ979→信濃鐡道ハ6(→ロハフ1)・ハ8。所謂「国電の始祖」が1925年に譲渡されたもの。1932年に荷物室を追加したため形式がハニフ1形となり、番号もハニフ1・ハニフ2となる。ハニフ1は1949年休車→1955年廃車・保管。ハニフ2は1938年廃車となっているが、1926年に布引電気鐡道へ譲渡されたとの情報もあり、荷物室を追加された時期と矛盾が生じている。

 

2:木造ボギー電車・半鋼製車

・ホデハ1形

ホデハ1~3

1923年8月日本車輛製。2重屋根、ポール集電、直接制御のボギー車。1927年に主電動機を65kWから72kWに増強。1930年に上高地線所属車は奇数、浅間線所属車は偶数とするため、ホデハ2をホデハ5へ改番。時期は不明だが形式称号をホデハからデハへ変更。戦後の1952年にパンタ化、1956年及び1959年に制御器の直接→HL化改造を行ったのち、1958年から1960年にかけて車体を鋼体化した。

ホデハ9

1927年4月汽車会社製。なぜ7を飛ばして9になったかは不明。こちらはシングルルーフにお椀型ベンチレータを装備していたらしい。時期は不明だが形式称号をホデハからデハへ変更。1961年に車体を鋼体化した。

・デハ13形

デハ13

武蔵野鐡道サハ105(→デハ105)→近江鉄道モハ105が西武鉄道へ返却されたのち、1950年10月に入線した2重屋根の木造ボギー車。松本入りに伴い主電動機を65kWから100kWへ増強している。1960年に車体を鋼体化した。

・デハ18形

デハ18

玉南電気軌道モハ6→東京急行電鉄(→京王帝都電鉄)デハ2006が1955年11月に入線したもの。松本入りに伴い、パンタと台車の交換をはじめ両運転台化や主電動機を85kWから100kWへの増強などを行っている。1963年に車体を鋼体化した。

・クハ16形

クハ16

池田鐡道デハ1→信濃鐡道デハ3→国鉄モハ20003(→クハ29013)が1952年12月に入線したもの。1964年に木造車では最後に車体を鋼体化した。

・デワ2形(2代目)

デワ2

伊那電気鐡道デワ5が1927年7月に入線したもの。1914年製と初代より古いが、恐らく初代が布引電気鐡道へ譲渡された代替として入線したものと考えられる。主に貨車のけん引に使用されたらしいが、電気機関車の入線後はネット上に散見される写真から、1970年代前半まで架線点検用のヤグラを乗せた事業用車として在籍していた模様。

 

3:鋼体化改造車と電気機関車

・モハ/クハ10形

モハ101,103,105

自社発注の木造車・デハ1形デハ1~デハ3を日本車輛で鋼体化したもの。1958年に105、1959年に103、1960年に101が登場した。

モハ107

西武モハ105→デハ13を1960年に日本車輛で鋼体化したもの。

モハ109

自社発注の木造車・デハ1形デハ9を1961年に日本車輛で鋼体化したもの。

モハ1011

京王帝都デハ2006→デハ18を1963年に日本車輛で鋼体化したもの。

クハ102

国鉄クハ29013→クハ16を1964年に日本車輛で鋼体化したもの。

・ED30形

ED301

信濃鐡道3→国鉄ED223→岳南ED223→西武A1が1956年に入線したもの。1926年アメリカBW/WH製。路線や事業者を転々とすることで、度重なる電気系の昇圧・降圧改造を受けている。形式の30は自重から採られたもの。2005年に除籍されたのち、現在も新村車庫に保存されている。

・ED40形

ED402,ED403

1965年に奈良井川ダム建設に伴う輸送力増強のため、日本車輛で製造された電気機関車。形式の40は自重から採られたもので、1号機の欠番はED30が在籍していたからというのが定説である。1971年にダム建設のための輸送が終了し岳南鉄道へ譲渡されたため、一般には岳南鉄道ED40と言った方が通じるらしい。現在も岳南富士岡駅構内に姿をとどめている。

 

4:新性能車の時代

・5000系

モハ5001-クハ5002,モハ5003-クハ5004,モハ5006-クハ5006

1981年に「アオガエル」こと東急初代5000系を譲り受けたもので、モハとクハの固定編成は3本が在籍した。入線に伴いワンマン化改造が施工されている。番号対象は次の通り。

デハ5047-デハ5024→モハ5001-クハ5002

デハ5051-デハ5034→モハ5003-クハ5004

デハ5055-デハ5048→モハ5005-クハ5006

モハ5007-モハ5009

基本的には先述のものと同じだが、こちらは単行運転ができるようワンマン化のほかに両運転台化も施工された。番号対象は次の通り。

デハ5052-デハ5050→モハ5007-モハ5009

 

5:現行車両

・3000系

1999年と2000年の2回に分けて京王電鉄3000系を譲り受けたもの。入線に伴いワンマン化改造をはじめ、先頭車化改造や寒冷地対応がなされた。制御電動車の種車がデハ3100形のため、長野県の私鉄では初の界磁チョッパ制御車となった。番号対象は次の通り。

デハ3109-デハ3059→モハ3001-クハ3002

デハ3108-デハ3058→モハ3003-クハ3004

デハ3106-デハ3056→モハ3005-クハ3006

デハ3107-デハ3057→モハ3007-クハ3008

下線付のクハは霜取りパンタ装備車

 

 いかがでしょうか?開業時の車両に関してはまだまだ謎なところが多いですが、アルピコの車両はこんな感じだったのかとご覧いただければ幸いです。

*1:宮田氏は正確には上田電鉄の親会社にあたる東急の人である

waveのヤスリスティックでレール研磨

先日Twitterを閲覧していると、モデルアイコンの公式垢にこのようなツイートがあるのを発見しました。

 

 

鉄道模型のレールを研磨するものといえば、古くから砂消しゴムや#1000のヤスリ等が挙げられます。

しかしそれだとレールに微妙なキズが出来てしまい、そこにまた汚れが詰まって集電不良になる悪循環が出来てしまうとのことです…。

そこでwaveから発売されている「ヤスリスティック」のフィニッシュを用いると、細かい目で研磨することでキズがほぼ無くなり、汚れが付着しにくくなったり走行性能が向上するらしいです。

 

ウェーブ ヤスリスティック フィニッシュ 2枚入 プラモデル用工具 HT-601
 

 

…というわけで、早速秋淀で購入したもので実験してみました。

 

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写真は使用後のものになります。

軽い力でサラサラと研磨するだけでこのようになりますが、これはレールのスパークによる汚れではなく、単なる金属を研磨した際に発生する削りカスですので、お間違いなく…(?)

まずは緑色の面でサーっと研磨したら、裏の白色の面で仕上げをするだけで完了です。自分は作業後に微妙に残った細かい削りカスを、無水エタノールを浸した綿棒で拭き取っていますが、磨いた直後に余計な汚れを付けないためにも何かしらの手段で拭き取った方が綺麗になるかと思います。

 

磨いてから試走する車両は、塗り替えのために出してあった鉄コレの都電7000形更新車です。個人的に鉄コレの路面電車用動力は、どうも走行性能がイマイチな印象が強いです。そこで徹底的に研磨したレールの上を走らせたらどうなるのか、試してみました。

 

 

右の黄色いマスキングテープを貼ったのが研磨したもの、左の何もないのが買ってそのままのものです。

路面電車といえばゆっくりゆっくり走るので、パワーパックのメモリを動き出すか出さないかのところに入れてから走らせました。

右側に在線しているときは逆転器を中立から前後方向に動かしただけでスムーズに動くとともに、途中で急なエンド交換をしても止まることなく動きました。そしてそのまま左側へ入ると少し走ったところで自然停止してしまいました。

今回比較したのは買ってそのままのものですが、コレが部屋の片隅で長いこと放置していたものとなると、入線した瞬間に自然停止することが考えられるので、ちょっと研磨するだけでも効果は抜群です。

以上のことから、ヤスリスティックで表面に出来た細かいキズを取り除くだけでも集電不良になりがちな車両がスムーズに走るので、本当に自信を持ってオススメできるのがわかりました。

 

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使った後はクリームクレンザーを少し手に取って洗うと、付着した削りカスがほとんどきれいに落ちました。

これならある程度繰り返し使えるので、お財布にも優しいですね(笑)

皆様も是非試してみてはいかがでしょうか?