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連載企画・善光寺白馬電鉄小史を読む 第2部第4編第3章編

前回の記事では「善光寺白馬電鉄小史」第2部第4編の鉄道に関する箇所である第1章と第2章を読み進めていきましたが、今回はトラックによる運送事業に関する第3章を見ていこうと思います。

第3章は「運送事業と兼業への専業化」というタイトルで、鉄道事業を廃業してからの同社のあゆみや子会社・長野運送についてがまとめられています。

 

それでは第1項をご覧ください。

誤字・脱字は全て原文ママとなります。

3-1. 鉄道事業の終結倉庫業の継承

鉄道事業の廃止により倉庫業に転換し、又事業用貨物自動車の現車整備を行なう事になったが登記上の商号変更の手続が必要の為、善光寺白馬電鉄の社名はそのまま引継がれた。

この結果、善光寺白馬電鉄は普通倉庫業、長野運送は通運事業、一般区域貨物自動車事業、倉庫事業のそれぞれ本業並びに付帯事業を営む事による新たな展開が開始された。

このように、善白・長野運送の両社はつねに協調して事業を進めてきたが、昭和46年の国鉄長野駅の貨客分離に伴なって組織の再編成が行なわれた。

鉄道貨物量の伸びなやみはアメリカに見られる自動車との適合輸送を推進し貨物駅の集約や統合が行なわれ、今後の通運事業の動向に対応に基づいたものでこの結果長野駅の貨物取扱い業務の一切は北長野駅に移転した。

この事は一般免許者の減少に対し直扱い及び限定業者のシェアを高め、荷主専属の色彩の強い限定業者によって専用線などを利用した荷卸しが、通運業のなかで有力な地位を確立したことを意味する。

これに寄って長野運送は北長野に営業所を設置した。

又、南長野にある王子製紙のチップ積荷用の国鉄専用側線についても不要となったが、北長野駅に於いては電気化学工業のセメント積荷用の国鉄の専用側線を有する事になった。

これは、電気化学工業セメント部門(デンカセメント)のセメント粉末体の貨物のバラ輸送を受け持った為である。

こうして運送業務及び倉庫業務の取扱を北長野に集約し、本社のある南長野には営業及び事業用貨物自動車の現車整備工場の業務が各々の場所で営なまれるようになった。

 

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引用:善光寺白馬電鉄小史 沖野幸一(1980)

 

善光寺白馬電鉄は現在も鉄道業を営まない電鉄として有名ですが、これは運送業専業として再出発するにあたり、手続きが必要な商号の変更を行なわずそのままとしたため、というのが真相なのだそうです。北海道の旭川電気軌道のように、社長の方針で鉄道を廃止してからもあえてそのままにしている会社もありますが、この善光寺白馬電鉄にも同様の理由があったのかな?と思います。

これに伴い当時進められていた長野駅の貨客分離*1に合わせて貨物駅の所在する北長野駅に長野運送を移転するとともに、南長野には善光寺白馬電鉄の本社と車両整備工場を残すことで、事業拠点の整理が行なわれました。

北長野駅の長野運送の拠点には南長野から移転したワム車用ホームや木材チップ用の側線のほか、新たにデンカセメント用の側線も作られました。このうち木材チップ用側線については跡形もなくなっていますが、デンカセメントのサイロやワム車用ホームは現在も北長野貨物駅構内に残されているので、ご存知の方もいらっしゃるかと思います。

本文に添付されている写真は北長野駅に停車するいすゞ製トラックと、ワム車用ホームの入口から写したセメントサイロと長野運送の倉庫の写真で、トラックの後ろに木材チップを積んだトラ90000形が写っているのがお分かり頂けるかと思います。

 

続いて第2項をご覧ください。

誤字・脱字は全て原文ママとなります。

3-2. 今後の展望

鉄道事業の廃止で脱車輪のなされた現在、バランスシートからすれば親会社の善白の資本金1500万円に対して子会社の長野運送は資本金5000万円で固定資産簿価は54年3月期で2億2千万円を超え毎期10%の配当を出している。

従業員数を見ても54年3月現在、長野運送の90名に対して善白は約30名に過ぎず全般の計値の上からすれば3対1の割合で示され成長した子会社が老化したボロ会社の面倒を見ているようなものである。

 

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反面、戦後に於ける自由経済競争は自家用トラックの小業乱立的激増は、通運業者のシェアの拡大を困難にする要因となり、更には各種の輸送に於けるアンバランスを激化させる事になった。

この事は荷主の側に於いても品目・距離・輸送需要の内容に応じて、数種の輸送手段を結合して一貫輸送を行う共同一貫輸送(Intermodal-Transportation)に対する要望が高まっており、通運業に於ける基礎施設の充実・再開発が国際競争の激化に対応する為には重要であり、まさに転換期と云える。

つまり今後の貨物通運業に於いては、経営規模拡大と近代化による競争力の強化が発展と成長に実を結んで行く事である。

最後に興味ある事として善白が鉄道線の廃止認可を受けた昭和44年7月9日から数日後の7月17日に鉄道建設公団による全国新幹線網構想が発表され、北陸新幹線の長野~富山間のルートが一部に於いてかつての善白線の免許区間を通る事になった為である。

壮大な構想と云うものは聞いている人間を楽しませるが、それを実現しようとしたら途方もない資金を必要とする訳で私企業として実現に失敗した発起者、丸山弁三郎の夢は将来、北陸新幹線に姿を変えて実現されるのかも知れない。

引用:善光寺白馬電鉄小史 沖野幸一(1980)

 

現在も子会社の長野運送より親会社の善光寺白馬電鉄の影が薄いことが否めませんが、執筆された1980年現在においては子会社が親会社の面倒を見ているような状態だったのだそうです。長野運送は善光寺白馬電鉄グループの中核として、同社の公式サイトの紹介でも大きく扱われています。なお昨年における善光寺白馬電鉄の売上高は約22億5千万円だったそうで、執筆から40年以上経った今では結構栄えている様子がうかがえます。

本文の最後には当時の鉄建公団から発表された「全国新幹線網構想」において、長野以北における北陸新幹線のルートが善光寺白馬電鉄の未成線に沿っていたことが触れられています。走ルンですはその計画図を実見したことがないので存じませんが、察するに群馬を出て長野県東部から長野駅にかけてを最短ルートで突っ切り、長野駅は東西方向に通過することで裾花峡や戸隠山を突っ切ることで、日本海側までの最短ルートを描くことを構成することを想定していたのではないでしょうか。

 

以上を以って「善光寺白馬電鉄小史」の本編は終了しました。次回以降は資料編の紹介となりますので、どうぞご期待ください。

 

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*1:それでも2000年代後半まで駅北部に所在する長野都市ガス専用線に向けた石油の車扱い貨物が残っている