連載企画・善光寺白馬電鉄小史を読む 第1部第2編第2章編

前回を以って第1章第1編を読み終えた「善光寺白馬電鉄小史」ですが、今回は第1章第2編を読み進めていきたいと思います。

 

…と、ここで例によって例のごとく第1章がページごと欠落しているため、残されたページの簡単な内容を説明してから第2章へ進みたいと思います。

第1章は「陸運行政の変遷」というタイトルで、戦時体制と鉄道事業の変遷について書かれていたようです。残されたページには、善光寺白馬電鉄が経緯は不明ながら輸送力の増強を狙って蒸気動力の併用を申請するとともに、新車が用意できるほど財源が豊かではなかったことから当時の鉄道省に内燃動車や蒸気機関車の払い下げを申請したものの、戦時下故に認可が得られず、増備を断念したとあります。また市内の軍需工場への通勤需要から通勤利用が増えたため、旅客が増加したとあります。

 

くどいようですが、こちらも同様にTwitterFacebookInstagramを通じて作者さまに関する情報提供をお願いしているのですが、今のところそれらしき情報はひとつもございません…。

以下は情報提供を呼びかける実際のツイートです(再掲)。

 

 

もしこちらをご覧の方に作者の沖野幸一氏に関してご存知の方がいらっしゃいましたら、コメントにてお知らせいただけると幸いです。

貴重な鉄道資料や正しい歴史をを後世へ伝えていくためにも、ご存知の方はご協力いただけると幸いです。

 

 

第2章は「第2期工事の着工」というタイトルで、善光寺温泉~裾花口間の建設に関する経緯がまとめられています。この編は各項ともに1ページで完結する内容なので、記事も1つで紹介したいと思います。

 

まずは第1項をご覧ください。

誤字・表記等は全て原文ママとなります。

2-1. 建設の経過

昭和11年12月の善光寺温泉まで竣工後、引続き第2期線として善光寺温泉~戸隠(土合)間5.6キロは、昭和12年善光寺温泉において建設の起工式をあげ、ただちに土木工事に取りかかった。

 

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第2期線の起工式 昭和12年善光寺温泉

 

用地買収45%、土工20%、隧道30%と工事工程は進んだが、日華事変から戦局があわただしくなってきた為、資材・労力ともに乏しく又、善白には、それを即時建設するだけの資金も乏しかった為に工事を一時休止せざるを得なくなった。

その後、鋼材の入手は困難であったがセメントのみ供給を受ける事が出来たので昭和16年11月より工事を再開した。

しかし鉄鋼統制令、金属回収令などにより鋼材などの入手難(数文字判読不能)思うようにはかどらない為、途中に橋梁、隧道のない裾花口まで軌条が敷設され、結局その先は実現できなかった。

 

引用:善光寺白馬電鉄小史 沖野幸一(1980)

 

なんやかんやで善光寺温泉まで路線を開業した善光寺白馬電鉄は、その先裾花口と芋井を経て戸隠は土合という裾花川沿いの場所まで5.6キロの路線延長を計画します。

土合の場所は下に埋め込んだGoogle MAPをご覧いただければと思います。地図を右へ動かすと、裾花口駅の近くに所在する裾花ダムに至ります。

 

 

しかし建設工事に取りかかったはいいものの、戦時中における資材統制の影響で戸隠までの工事は断念し、ひとまず資材の都合で建設ができる裾花口までの工事にすることとしました。

なお戸隠駅の予定地ですが、一般的に戸隠と呼ばれるエリアまでは程遠い場所に位置するため、ここから行くとなると山道の険道をひたすら進んだ先にあるという、ちょっと不便な位置になる見込みであったと考えられます。分かりやすい例だと「厚木の中心地にない厚木駅」をイメージしていただけると、どれだけ不便な状態かお分かりいただけるものと思います。戸隠の中心地まではバスやハイヤーなどによる連絡などを考えていたのでしょうか。

 

続いて第2項をご覧ください。

誤字・表記等は全て原文ママとなります。

2-2. 善光寺温泉~裾花口間の開通

こうして資材・労力ともに乏しい折にもかかわらず、善光寺温泉~裾花口間1.0キロメートルの延長工事は昭和17年12月15日に竣工し、12月17日から営業を開始した。

 

第2期線(善光寺温泉~裾花口間)の概要(原本が不鮮明なためExcellにて作製)

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これに際して加越鉄道(富山地方鉄道加越能鉄道)*1から4輪木製有蓋貨車、ワ10形(11,12)積車10トンの2両を譲り受けた。

列車の所要時間は3分で表定速度は20km/hと云うスローであった。

列車の運行は昭和17年4月のダイヤ改正で南長野~善光寺温泉間が5往復、善光寺温泉~信濃善光寺間が3往復となったが、延長に伴って18年4月に再度ダイヤ改正を実施して南長野~裾花口間が6往復、裾花口~信濃善光寺間が2往復設定された。

この区間列車は朝夕、各1往復の運転であり、西長野の信濃善光寺駅が市内への入口に当たり通勤、通学者の便宜を計り設定したもの。

運賃は17年の改正により南長野~裾花口間25銭で7.4キロから見ても基本賃率が高く国鉄の2倍近い高運賃だが、地方の中小私鉄ではこの位がごく一般的である。

裾花口は芋井発電所と並んだ裾花峡の入口に位置し対岸の県道へ渡る木橋を架設、鬼無里方面から市内軍需工場への通勤客の中継地としての役割を果すものであった。

 

引用:善光寺白馬電鉄小史 沖野幸一(1980)

 

昭和17年にとりあえず裾花口まで開通した第2期線ですが、開業に合わせてダイヤ改正と貨車の増備が行なわれたそうです。ここに来て有蓋車*2を増備したのは、裾花峡に挟まれた奥地の集落への物資輸送を目論んでのことだったのでしょうか。

列車は全線を通しで走る列車の他、朝夕1往復ずつ裾花口~信濃善光寺間の区間列車が設定されていたそうですが、この信濃善光寺駅の場所も市内中心部への入口にしては少し離れた場所に位置するため、県庁の近くに所在する一つ先の妻科駅までの運転にしなかったのが謎いですが、折り返し列車ということで有人駅までの運転にしたかったものと思います。

 

次回から第1部第3編を読み進めていきたいと思います。

 

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*1:現在の万葉線

*2:屋根のある貨車:代表例として国鉄ワム80000形やワラ1形、ワキ5000形、ワキ10000形など。