連載企画・善光寺白馬電鉄小史を読む 資料編編

前回の記事で本編を読み終えた「善光寺白馬電鉄小史」ですが、今回は資料編を見ていきたいと思います。

この資料編では路線や車両、会社組織に関するデータがわかりやすくまとめられています。特に車両に関しては気になる方が結構いらっしゃるのではないでしょうか?

 

まずは第1項にあたる会社の発展図と題された図をご覧ください。

沖野氏が手書きで作図されたものと思われます。

 

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引用:善光寺白馬電鉄小史 沖野幸一(1980)

 

組織の変遷などの詳細はこれまでの記事をご覧いただけると幸いです。

 

続いて第2項にあたる「技術」の項目です。

ここに路線の施設や車両についてがまとめられているので、気になる方は是非お読みいただけたらと思います。

 

まずは「建設(施設)」をご覧ください。

誤字・表記等は原文ママとなります。

○建 設(施 設)

 橋梁

主要な橋梁は1号 61.264メートル、2号 39.044メートル、3号 36.58メートルでこの内3号は側橋である。

橋台・橋脚などの下部構造はいづれもコンクリートで、上部構造は鉄桁製で工事は順次、足場を組んで架設した。

1号~3号はいづれも橋台2礎、橋脚2礎で、他に長野市街地を通過する為、山王に県道と立体交差をする高架橋があった。

 

 隧道

茂菅と善光寺温泉の間の山間部には4つの隧道があり、いづれも単線隧道で断面は半月馬蹄形、主施行法として底設導坑式を採用して作業はショベルによる人力土工で掘削を行った。

覆工はコンクリートで軌条面上の高さは電車線の吊架が可能な高さによる隧道定規がとられた。

残土は一部山王付近の高架橋構築に含まれる築堤用の土盛に使用された他各所の路盤用土盛になった。

延長は1号 159.56メートル、2号 202.25メートル、3号 164.05メートル、4号 211.22メートルでその他南長野で国道18号線と立体交差する為に跨線橋を開削してアンダークロスとしていた。

 

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引用:善光寺白馬電鉄小史 沖野幸一(1980)

 

主な橋梁として紹介されている1号~3号橋梁は、いずれも信濃善光寺~茂菅間で裾花川を横断するために架橋されたもので、現在も裾花川に当時の橋脚が残されています。

また山王駅の高架橋は1990年代まで橋台が残されていたものの、現在は築堤の石垣のみが残されています。ここの廃線跡は県道の拡張工事の影響で消失する見込みであるため、観察に行くなら今のうちということになります。

トンネルも全て現存しているものの、ところどころ天井が崩落していたり入口が土砂で埋没していたりと、年月の経過に伴う風化が進んでいるのが現状です。国道18号の「みすゞ橋」の下を通るところは、片方の入口が塞がれたまま現存しており、今もその名残を留めています。

建設概要には路線の詳細がまとめられているので、参考までにご覧いただけたらと思います。

 

続いて駅設備についてです。

こちらも沖野氏がまとめられた表をご覧ください。

 

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引用:善光寺白馬電鉄小史 沖野幸一(1980)

 

7駅のうち有人駅は南長野、信濃善光寺善光寺温泉、裾花口の4駅で、他は無人駅になります。

有人駅はいずれも駅舎や貨物の積み下ろし場や側線を持ち、車庫は南長野、保線区は信濃善光寺に併設されています。善光寺温泉駅と裾花口駅に貨物ホームがあるのは、裾花峡に挟まれた奥地への物資輸送を見込んでのことだったのでしょうか。

 

続いて「車両」の項目です。

誤字・表記等は原文ママとなります。

○車 両

 半鋼製2軸ボギー式ガソリン動車ゼ100形

善光寺白馬電鉄は第1期線(南長野~善光寺温泉間)の開業に備えて、昭和11年6月、ゼ100・101の2両を日本車輛東京支店に於いて新製した。

日本車輛が地方中小私鉄向けに製造した第2次形の半鋼製の2軸ボギー車で、同形車に神中鉄道(相模鉄道、昭和20年~22年まで東急が管理)キハ30形がある。

全長12.02メートル、最大幅3.555メートルで車体のみの寸法は全長11.3メートル、車体幅2.6メートル、高さ3.47メートルであった。

車体は、丸屋根の布張りで外板は茶色塗装で昭和15~16年に国鉄長野工場に全検入場の際、国鉄気動車と同様の青色及びクリーム色の2色塗装となった。車内設備はロングシートの座席に照明は白熱灯で、正面は丸味を描き、左側に運転台を置き、ドアは両端にあり、手動式2扉で乗務員用扉はなかった。更に冷暖房はもちろん車内放送もなかった。

発動機は米国ウォーケッシャ製ガソリン機関78.5馬力で変速機はクラッチによる機械式4段変速で制御した。

台車は気動車用の菱枠型で、車輪直径は860メリメートルであった。

形式称号のゼは社名の頭文字をそのままつけたものである。

 

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 ゼ100形の変遷

昭和19年1月11日の営業休止によって2両共に他社へ譲渡される事になり、ゼ100は19年4月28日付で上田丸子電鉄*1へ譲渡されて同社のキハ301となった。

一度ガソリンカーとして試運転を行なっただけで附随化して別所線でサハとして使用された後、23年に電車に改造されてモハ311となった。

改造に当っては東急から来たモハ1形木造電車の米国ブリル製76E型鋳鋼台枠軸バネ式台車に交換され、ステップを撤去して丸子線に使用、29年モハ3121に改番後30年から西丸子線に転出し、同線が36年に休止38年に廃止の為、別所線に移り44年の丸子線廃止で車両が余った結果、44年11月18日付で廃車された。

ゼ101も19年に滋賀県江若鉄道*2に売却され同線のキハ14となった。

しかし、ガソリンの入手困難の為に客車代用として使用された後、戦後になってからガソリンカーとして営業用に使用されたが、小形の為に他形式車との運用には輸送力の差が生じ適合性が異なる為に整理され昭和22年に和歌山県の野上電気鉄道*3に譲渡された。

譲受後、電車に改造されてデハ22として使用されたがその後の車両整備に伴って不要となり昭和34年に廃車された。

 

 木製有蓋4輪貨車ワ10形

第2期の一部延長(善光寺温泉~裾花口)の開業と輸送力増強の為に昭和17年12月、富山県の加越鉄道(現在の万葉線)から大正2年関製作所製の木製有蓋貨車ワ1形(3,8)の2両を譲受けてワ10形(11,12)とした。

営業休止後は2両共、福島電気鉄道(福島交通)へ譲渡され飯坂西線に配置されたが同線の貨物需要が少なく、ほとんど使用されずに廃車された。(昭和23年9月の認可で使用開始、昭和35年3月10日付で廃車。)

 

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引用:善光寺白馬電鉄小史 沖野幸一(1980)

 

在籍していた気動車のゼ100形に関しては、休止後に譲渡された先で電車化されたということが有名かと思います。この車両の日本車輛で造られた12メートル級78馬力ガソリンカーというスペックは、同じ県内の飯山鉄道*4や佐久鉄道*5に納入されたものと同じものであり、特に飯山鉄道には半流線形の車体を持つ同型車であるキハ100形が在籍していました。これは近隣の私鉄と同仕様の車両を発注することで、整備時における互換性などを持たせたものといわれています。車内に暖房はないものの、現車の屋根にはストーブの煙突を通すための穴が開けられており、冬季には車内にストーブを積むことで暖房の代替に使用するつもりだったとのことです。実際にはそのようなことをした事実はなく、冬季も暖房なしで運用されていたそうです。

塗装は導入時は茶色一色だったものが、昭和15年ごろに当時の気動車標準色である紺と黄褐色のツートンカラーに塗られたそうです。善光寺白馬電鉄の有名な写真に高台から撮影された橋梁を渡るガソリンカーのものがありますが、それに写った車両の色はそのような感じだったということになります。なおこの国鉄気動車標準色は、当時のドイツにおける高速気動車・フリーゲンターハンブルガー号のものを参考にしたらしく、当時の新聞記事では明朗な色と紹介されていますが、元になったフリーゲンター(ryと比較すると、地味な色合いに劣化コピーされていることがわかります。

江若鉄道→野上電鉄と渡り歩いた車両や貨車についての詳細は存じませんが、上田電鉄へ譲渡された車両は、3120形モハ3121号車として西丸子線で使用されていたのが有名かと思います。本文中では上田電鉄が譲り受けた目蒲電鉄→東急モハ1形の部品を使用した旨の記述がありますが、実際は新規に購入したモハ1形の部品を用いて電車化されています。廃車後は上田原電車区にて車体が倉庫として残されていたものの、1986年の昇圧と共に電車区下之郷へ移転した後に解体されてしまいました。なお東急モハ1形の車体をガソリンカーのものへ交換したものは、3220形として使用されていました。

 

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参考:上田電鉄3120形モハ3121号(RML「上田丸子電鉄(下)」宮田道一ほか(2005)より)

 

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参考:野上電鉄20形デハ22号(RML「野上電気鉄道」寺田祐一(2013)より)

 

参考までにRMLより、掲載されている電車化改造を受けたのちのゼ100形の画像を引用いたします。どちらもガソリンカー時代の半流線形の車体に、かつての面影を残していて面白いですね。

 

続いて「保守」の項目です。

誤字・表記等は原文ママとなります。

○保 

〔南長野気動車庫〕

昭和11年11月、善白線(南長野~善光寺温泉東口間)の開通と共に開設した。

所属車両がたったの2両の為、検修設備はなく仕業検査のみを行い、定期検査が行なわれる際には維持修繕と共に国鉄に依頼し長野工場まで回送していた。

 

信濃善光寺保線区〕

開業と同時に保線業務を行なう為に保線事務所が設立され、信濃善光寺に設置された。

保線班による作業員によって線路保守が行なわれたが、営業線が短区間の為に線路状態に応じて随時修繕方式で人力作業が行なわれた。

軌道構造は軌条が30キログラム(1メートル当たり)の軌条長10メートルの物を使用、分岐器は6番轍さの組立て式で道床は玉砂利、枕木はナラ・ヒバ・カラマツなどが素材のまま使用されていた。

 

〔踏切道〕

善白線は運行回数の少ない地方の閑散線であったが保安度向上を図る為に道路との立体交差化を実施しており、南長野の国道18号線・山王の県道がそれである。

この結果、道路通行量が少ない箇所に第4種踏切道があるのみにとどまった。

 

引用:善光寺白馬電鉄小史 沖野幸一(1980)

 

車庫は南長野駅構内に設置された気動車庫で仕業検査を行っていたとのことで、全検などの際は国鉄長野工場へ回送して行うという、現在のしなの鉄道えちごトキめき鉄道などの第3セクター鉄道が採っている方法を用いていたとのことです。恐らくは飯山鉄道や佐久鉄道も同様の手法を採っていたのではないでしょうか?

保線区は信濃善光寺駅に設けられたものが中心となり、保守が必要な個所は随時出張して点検を行う方法が採られていたそうです。レールに短尺の30キログラムレールを使用していたのも、この当時の一般的な地方私鉄にありふれたものですね。バラストに玉砂利を用いていたり、枕木に防腐加工を行なっていない木材をそのまま使用していたのも、資金力の乏しい地方私鉄ならではのものかと思います。それでも耐久性のあるナラ材やヒバ材などが用いられていたのですね。

 

最後に第3項にあたる「その他」の項目です。

この項目は2つの表からなる1ページのもので、スキャンしたものをご覧頂けたらと思います。

 

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引用:善光寺白馬電鉄小史 沖野幸一(1980)

 

ここでは2年ごとにおける鉄道運輸成績表と、長野運送の昭和48年から昭和54年までにおける利益金処分状況推移表が掲載されています。

以上をもって資料編は終了です。

次回で最後の記事になる見込みです

 

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諸事情により公開時期未定

 

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*1:現在の上田電鉄

*2:現在の江若交通

*3:現在は廃止

*4:現在のJR飯山線

*5:現在のJR小海線

連載企画・善光寺白馬電鉄小史を読む 第2部第4編第3章編

前回の記事では「善光寺白馬電鉄小史」第2部第4編の鉄道に関する箇所である第1章と第2章を読み進めていきましたが、今回はトラックによる運送事業に関する第3章を見ていこうと思います。

第3章は「運送事業と兼業への専業化」というタイトルで、鉄道事業を廃業してからの同社のあゆみや子会社・長野運送についてがまとめられています。

 

それでは第1項をご覧ください。

誤字・脱字は全て原文ママとなります。

3-1. 鉄道事業の終結倉庫業の継承

鉄道事業の廃止により倉庫業に転換し、又事業用貨物自動車の現車整備を行なう事になったが登記上の商号変更の手続が必要の為、善光寺白馬電鉄の社名はそのまま引継がれた。

この結果、善光寺白馬電鉄は普通倉庫業、長野運送は通運事業、一般区域貨物自動車事業、倉庫事業のそれぞれ本業並びに付帯事業を営む事による新たな展開が開始された。

このように、善白・長野運送の両社はつねに協調して事業を進めてきたが、昭和46年の国鉄長野駅の貨客分離に伴なって組織の再編成が行なわれた。

鉄道貨物量の伸びなやみはアメリカに見られる自動車との適合輸送を推進し貨物駅の集約や統合が行なわれ、今後の通運事業の動向に対応に基づいたものでこの結果長野駅の貨物取扱い業務の一切は北長野駅に移転した。

この事は一般免許者の減少に対し直扱い及び限定業者のシェアを高め、荷主専属の色彩の強い限定業者によって専用線などを利用した荷卸しが、通運業のなかで有力な地位を確立したことを意味する。

これに寄って長野運送は北長野に営業所を設置した。

又、南長野にある王子製紙のチップ積荷用の国鉄専用側線についても不要となったが、北長野駅に於いては電気化学工業のセメント積荷用の国鉄の専用側線を有する事になった。

これは、電気化学工業セメント部門(デンカセメント)のセメント粉末体の貨物のバラ輸送を受け持った為である。

こうして運送業務及び倉庫業務の取扱を北長野に集約し、本社のある南長野には営業及び事業用貨物自動車の現車整備工場の業務が各々の場所で営なまれるようになった。

 

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引用:善光寺白馬電鉄小史 沖野幸一(1980)

 

善光寺白馬電鉄は現在も鉄道業を営まない電鉄として有名ですが、これは運送業専業として再出発するにあたり、手続きが必要な商号の変更を行なわずそのままとしたため、というのが真相なのだそうです。北海道の旭川電気軌道のように、社長の方針で鉄道を廃止してからもあえてそのままにしている会社もありますが、この善光寺白馬電鉄にも同様の理由があったのかな?と思います。

これに伴い当時進められていた長野駅の貨客分離*1に合わせて貨物駅の所在する北長野駅に長野運送を移転するとともに、南長野には善光寺白馬電鉄の本社と車両整備工場を残すことで、事業拠点の整理が行なわれました。

北長野駅の長野運送の拠点には南長野から移転したワム車用ホームや木材チップ用の側線のほか、新たにデンカセメント用の側線も作られました。このうち木材チップ用側線については跡形もなくなっていますが、デンカセメントのサイロやワム車用ホームは現在も北長野貨物駅構内に残されているので、ご存知の方もいらっしゃるかと思います。

本文に添付されている写真は北長野駅に停車するいすゞ製トラックと、ワム車用ホームの入口から写したセメントサイロと長野運送の倉庫の写真で、トラックの後ろに木材チップを積んだトラ90000形が写っているのがお分かり頂けるかと思います。

 

続いて第2項をご覧ください。

誤字・脱字は全て原文ママとなります。

3-2. 今後の展望

鉄道事業の廃止で脱車輪のなされた現在、バランスシートからすれば親会社の善白の資本金1500万円に対して子会社の長野運送は資本金5000万円で固定資産簿価は54年3月期で2億2千万円を超え毎期10%の配当を出している。

従業員数を見ても54年3月現在、長野運送の90名に対して善白は約30名に過ぎず全般の計値の上からすれば3対1の割合で示され成長した子会社が老化したボロ会社の面倒を見ているようなものである。

 

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反面、戦後に於ける自由経済競争は自家用トラックの小業乱立的激増は、通運業者のシェアの拡大を困難にする要因となり、更には各種の輸送に於けるアンバランスを激化させる事になった。

この事は荷主の側に於いても品目・距離・輸送需要の内容に応じて、数種の輸送手段を結合して一貫輸送を行う共同一貫輸送(Intermodal-Transportation)に対する要望が高まっており、通運業に於ける基礎施設の充実・再開発が国際競争の激化に対応する為には重要であり、まさに転換期と云える。

つまり今後の貨物通運業に於いては、経営規模拡大と近代化による競争力の強化が発展と成長に実を結んで行く事である。

最後に興味ある事として善白が鉄道線の廃止認可を受けた昭和44年7月9日から数日後の7月17日に鉄道建設公団による全国新幹線網構想が発表され、北陸新幹線の長野~富山間のルートが一部に於いてかつての善白線の免許区間を通る事になった為である。

壮大な構想と云うものは聞いている人間を楽しませるが、それを実現しようとしたら途方もない資金を必要とする訳で私企業として実現に失敗した発起者、丸山弁三郎の夢は将来、北陸新幹線に姿を変えて実現されるのかも知れない。

引用:善光寺白馬電鉄小史 沖野幸一(1980)

 

現在も子会社の長野運送より親会社の善光寺白馬電鉄の影が薄いことが否めませんが、執筆された1980年現在においては子会社が親会社の面倒を見ているような状態だったのだそうです。長野運送は善光寺白馬電鉄グループの中核として、同社の公式サイトの紹介でも大きく扱われています。なお昨年における善光寺白馬電鉄の売上高は約22億5千万円だったそうで、執筆から40年以上経った今では結構栄えている様子がうかがえます。

本文の最後には当時の鉄建公団から発表された「全国新幹線網構想」において、長野以北における北陸新幹線のルートが善光寺白馬電鉄の未成線に沿っていたことが触れられています。走ルンですはその計画図を実見したことがないので存じませんが、察するに群馬を出て長野県東部から長野駅にかけてを最短ルートで突っ切り、長野駅は東西方向に通過することで裾花峡や戸隠山を突っ切ることで、日本海側までの最短ルートを描くことを構成することを想定していたのではないでしょうか。

 

以上を以って「善光寺白馬電鉄小史」の本編は終了しました。次回以降は資料編の紹介となりますので、どうぞご期待ください。

 

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*1:それでも2000年代後半まで駅北部に所在する長野都市ガス専用線に向けた石油の車扱い貨物が残っている

別所線平成10年10月10日記念乗車券

今回の切符これくしょんは「」を紹介いたします。

この記念乗車券は日付の語呂合わせ記念という意味合いも強いですが、新幹線開業を機に新たに高架駅として生まれ変わった、上田電鉄上田駅の誕生を記念する要素も強いものになっています。

 

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入れ物は・・・?と印刷された封筒で、一見すると何が入っているのか分からない謎な感じが面白いです。

 

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乗車券は上田電鉄ではおなじみの青地のPJR地紋の硬券3枚が、折り畳み式のカバーに収められています。いずれも上田駅からのもので、上田原・下之郷別所温泉の主要な駅までのものになっています。

先述の通り新たに高架駅として生まれ変わった上田駅がモチーフとなっており、7200系と合わせて当時の上田交通の新たな出発を印象付けるものになっています。

上田電鉄上田駅は高架のホームと走っている電車のおかげで、池上線五反田駅みたいな感じが面白いですね。

大宮総合車両センターのいつでも見れる保存車

昨日の鉄道博物館訪問の帰りは、久々に大宮総合車両センター(以下大宮総車セ)の前を歩いて大宮駅まで戻ることにしました。

なぜなら大宮総車セの前には3両の機関車が保存されており、日中はいつでも見学できるからです。

 

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鉄道博物館から歩いていくと、まず目に付くのがこよ2両の旧型電機のカットモデルです。

元々工場敷地内で保存されていたものが、鉄道博物館開館に伴う整備の一環でこちらに移転したものです。


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左側にはEF58形のEF58 154号が置かれています。

青大将と呼ばれる緑系の塗装でつばめのヘッドマークを取り付けた状態ですが、現役時代にこの塗装をまとったことはなかったとのことです。


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右側にはEF15形EF15 168号が置かれています。

デッキ付の貨物用機関車なのですが、車体だけだと変な感じがしますね…。

これら2両のカットモデルは再整備があまりなされていないらしく、塗装の劣化やサビなどが目立つ状態でした。


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カットモデルが置かれた場所から大宮駅に向かってしばらく歩くと、D51形のD51 187号が保存されています。

これは大宮工場製D51形の1号機ということから保存されているもので、同様のものが北海道の苗穂や長野にも保存されています。

この機関車も当初は鉄道博物館への収蔵候補に挙がっていたものの、結局は候補から漏れてしまいました。


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ナンバープレートの下に大宮工場の銘板が取り付けられています。


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奥の方に説明板がありました。

プルバックトレインの103系

鉄道博物館のお土産コーナーにはさまざまなものが売られておりますが、その中でも開館時から特に私が気になっていたのがこちらです。

 

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プルバックトレイン」の名称で売られている鉄道車両のおもちゃで、名前の通りチョロQの如く床に押し付けながら後ろに引っ張ると走る仕掛けのものです。

かつて明治から「エクスプレスライナー」の名称で発売されていたものと同じものらしく、「エクスプレス(ry」では山手線のウグイスしかなかったのが、「プルバック(ry」では中央線のオレンジ、総武線のカナリヤ、京浜東北線のスカイブルーを混じえた4色が発売されました。

開館時は4色あったラインナップが年を追うごとに徐々に減っていき、今ではオレンジとカナリヤのどちらかしか売られていないみたいです。

ウグイスはヤフオクなどで「エクスプレス(ry」として売られていたものが入手できますが、スカイブルーは完全に絶版になったみたいです。

 

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ご覧の通りプロトタイプはいわゆる高運転台・ATC車で、前面にJRマークが入っている民営化後の姿です。

オレンジの商品名は中央線なのですが、運用が103系の性能に合わないことや、そもそもが一時的な配置だったことから民営化前に撤退しているため、武蔵野線や青梅・五日市線、または大阪環状線の方がしっくり来るかもしれません(?

103系は鉄道に詳しくない女性からもシンプルなデザインとカラフルな塗装に人気があるらしく、私の知人も皆かわいいといっていたのですが、おもちゃでもそのかわいらしさが程よい具合にアレンジされていて素敵だと思います。

ただしなぜか尾灯が黄色くなっているので、そこだけ赤で再塗装しています。また前面の飾り帯も銀で塗り直しています。側面扉の戸当ゴムにも色差しをしたり、床下や屋根上機器を再塗装したりすれば、おもちゃでももっとカッコ良くなると思います。

今後ウグイスとスカイブルーも入手できたら紹介したいと思います。

「てっぱく」の気になるところ

本日は誕生日ということで、休みを取って鉄道博物館へ行ってきました。

その際に色々見てきて気になったものを色々挙げていきたいと思います。

 

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まず入口に鎮座するD51 426のカットモデルですが、前面梁に付けられた小さな銘板には、鉄道100周年記念に、あの國鐵廣嶋で製作された旨が書かれていましたw

交通博物館からずっとシンボルとして鎮座していたコレが、まさか國鐵廣嶋謹製だったとは…w

 

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こちらは松本電鉄アルピコ交通ハニフ1号です。

特に変哲もない状態ですが、小学生の頃に親と新村車庫へ見学に行った思い出のある車両なのです。

当時は車内に入れたので客室や荷物室を見学したり、お土産にコレとED301の資料を頂いたり、青ガエルの車内を見せて頂いたりと、至れり尽くせりの楽しい時間だったのを覚えております。

 

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こちらは101系クモハ101-902号の前に鎮座するDT24形台車ですが、皆様ご存知の通り手前のマスコンブレーキ弁を操作することで、実際に動かすことができるようになっています。

改めて遊んでみたのですが、ブレーキ弁セルフラップ式ではないため、きれいにピタッと停止させるのがとても難しく感じます。きれいに停止させようとすると、少しずつじわじわ減速していくので、鉄道車両の制動距離の長さを感じることができました。

ご覧の皆様もそのことに意識して操作してみると、結構楽しいかもしれません(?

 

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そしてこちらが101系クモハ101-902号です。

どうせなら相方のクモハ100も一緒に残しておいて欲しかったというのはわがままでしょうか…。最短2連で組成できるからこそ、MM'ユニットをわかりやすく伝える教材として持ってこいだったのではないかと思います。


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車内は昔ながらの「こくでん」といった感じです。

THE BOOMの中央線が聴きたきなりました。

 

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こちらは原形窓を保つ半流線型の前頭部が美しい、41系クモハ40074号です。


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白熱灯の照らす車内は幻想的で、同じ41系の活躍していた夜の安曇野を走る大糸線に想いを馳せることができました。


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側面のATS表記はSn型以外不自然に抹消されていて中途半端さを感じます。


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こちらの運転台後の座席が撤去されていたのが謎でしたが、恐らく現役時代にP型ATSの筐体が置かれていた場所なのかなと思いました。

ご存知の方がいらしたらコメントでご教示いただけると幸いです。

 

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いつもと変わらない姿ですが、ゴハチパックことEF58形EF58 89号です。

上越形の凛々しい姿を今に伝える貴重な存在ゆえに、堂々たる存在感がかっこいいですね。

 

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ゼロロクことEF66形0番代のEF66 11号もカッコいいですね。


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コキ50000形コンテナ車は、幼い頃に北長野駅で飽きるほど見ていたのが懐かしいです…。

 

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485系のタイホンカバーの銘板を撮ってみました。

どうやら北海道電工というメーカーの製品なのだそうです。

 

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こちらは2階にある73系のモックアップです。

松本車両センターで用いられていたクモヤ90801号のものから作ったとのことで、同車は引退後に東京総合車両センター(大井工場)にて保管されていました。聞くところによれば、コレを元に63系や73系へと復元するつもりだったとのことですが、この一部を残して解体されてしまったのは残念でなりませんね…。

 

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新館に展示されている400系新幹線ですが、ノーズに新塗装の名残の緑色が残っていたのは気付きませんでした。


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妻面にある「山形ジェイア-ル直行特急保有株式会社」の銘板が面白いですねw

 

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新館4階の歴史ステーションには巨大な鉄道の歴史を描いた壁画がありますが、その中でもこちらの営団東西線5000系のイラストに違和感を感じた方は結構いらっしゃるのではないでしょうか。

実はコレ、よく見ると一旦営団日比谷線3000系として描かれたものを無理矢理5000系へと修正したもので、上から紙を継ぎ接ぎしているのが目を凝らすとお分かりいただけるかと思います。

 

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こちらはATSのイラストですが、国鉄で使用していたATSは赤信号直下で停止させる機能がないため、このままでは追突不可避です。

この当時のは地下鉄の打子式(機械式)ATSでしたら絶対に安全なんですけどね。

 

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地下鉄コーナーにある集電シューですが、昭和29年製とあるのでどの車両のものか気になっていたのですが、左側に「1701 2」と書かれた表記が残っていたので、銀座線1700形1701号車の2位側(?)のものということが判りました。

廃車時に取り外されたものが、当時の交通博物館に収蔵されたのでしょうか。

 

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窓口を模したコーナーにあった仙台のグリーンライナーの企画乗車券ですが、715系1000番代の「世を偲ぶ仮の顔」や「月光仮面」に当たるクハネ581形だった側を前にして描かれているのが面白く感じました。

やはりあの食パン顔は国鉄にとってもあまりいいものと感じていなかったのでしょうか…?


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こちらも窓口のコーナーで見つけた国鉄バスのポスターで、ハイウェイバスが滝に突っ込んでいますw


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走ルンですはコレを見るたびに、映画「新幹線大爆破」が無性に観たくなると同時に、宇津井健氏の「青木くん、新幹線を停めるんだ!」というセリフも脳内再生されます(w

 

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こちらは屋内から引き出されたDD13形のDD13 1号ですが、いたずら防止のためなのか開放てこが車体前梁に溶接されていました…。


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こちらはその隣に並べてあるキハ11形のキハ11 22です。

国鉄気動車一般色に塗られていますが、たらこ色こと首都圏色も捨て難く感じます。


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床下に装荷されたDMH17形エンジンですが、やはり素人が見ても古そうな設計であることがわかります…。


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そしてこちらが劣悪な乗り心地で有名なDT19形台車です。


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枕バネが本当に防振ゴムブロックで出来ています。


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制輪子は茨城交通湊線*1時代のレジンシューから鋳鉄シューへと交換されているみたいです。

 

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こちらはキッズコーナーに置かれた103系のカットモデルです。

1両丸々大宮総合車両センターに残していたのが開館に伴いカットモデルにされた挙句、リニューアルで子供のおもちゃ同然にされてしまいました。

同時期の私鉄の通勤形のようなハイスペックの高性能車とはいきませんが、国鉄国鉄による国鉄のための通勤形として、都市部の通勤輸送を支えた功労者が本当にこのような形で残されてよかったのだろうか…。私はそう思います。


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運転台に掲げられた京葉電車区時代の編成札。

スカイブルーを身に纏い、京葉線(ベイライン)の高架線をブンブン唸らせながら疾走する姿は、子供の頃の憧れだったのを思い出します。

車内の座席に腰掛けながらE.L.O.のTwilight*2を聴くと、あの頃の活躍を思い出させるタイムマシンのように思えました。Twilightが収録されたアルバム「タイム」はタイムトラベルをイメージしたものなので、それに絡めてこのままあの頃にタイムトラベルができたら…なんて考えてしまいました。

今にこの電車が正しい姿で大切に保存されることを願って止みません…。

 

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野外に置かれた183/189系は、湘南新宿ライナーと踊り子のヘッドマークを掲出していました。

もう一度車内でご飯を食べながら、妙高に乗ったことを思い出させる日が来てほしいと切に願っております…。

 

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最後に話題のMAXですが、鉄博にいるのはE1系M4編成のです。

いつかは新津のE4系にも会いに行きたいですね。

台車がガビガビに汚れたままなのが残念ですが…。

 

また訪問した際に気になったことがありましたら、このようにまとめてみたいと思います(笑)

*1:現在はひたちなか海浜鉄道

*2:ドラマ「電車男」のOPで使われたあの曲

103系奈良電車区タイプ

前回は201系奈良電車区タイプを紹介しましたが、やはりそれだけでは寂しいなぁと思ってしまったことから、お供にこんなものも作ってみました。

 

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103系低運転台車の奈良電車区タイプです。

とりあえずNS618編成の番号を貼り付けているので、こいつはNS618編成ということにしておいてください。

こちらもKATO製品がベースなのですが、すでに手元にある同じウグイス色の山手線セットを潰して作るのは気が引けたので、10-539こと京阪神緩行線セットからサハを脱車したうえで塗装変更しました。

こちらはIPAに漬けると塗装がボロボロ落ちたので、下地丸出しにしたうえでサフで整えてから、FALBEの黄緑6号を塗りました。

こちらも帯やステッカー、表記類は全てサードパティのインレタで済ませました。

 

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ちなみに完成当初の姿がこちらです。

最初はこのままでもいいかなぁと思っていたのですが…

 

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やはりこの仕様にスカートがないのは寂しいので、GreenMaxのバルクパーツの低運転台車用スカートを調達し、そこに使用する見込みのない線バネタイプのTNカプラーをバラして組み込みました。

組み上げたカプラーユニット自体はダミーカプラー同様に普段から連結させるわけではないことから、ゴム系接着剤で取り付けてしまいました。

 

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せっかくなので201系と並べます。

白い帯を巻いたウグイス色の国電も、爽やかな感じでとても素敵ですね。通勤型ゆえに都市部が一番似合いそうですが、緑の多いレイアウトで走らせると映えそうな感じがして、レンタルレイアウトに持っていくのがとても楽しみになります。

103系ももう少したくさん揃えて遊びたくなってしまいますねw