古の鉄ピクから出てきた切り抜きより…その1

昨年12月に秋ポポへ立ち寄ったときのこと。地下1階の古書コーナーを見ていると、たまたま探していた昭和30年代の鉄道ピクトリアル(以下、鉄ピク)を発見し、買って帰ることにしました。うちに着いてから中を開けるとアラびっくり。なんと当時の新聞の鉄道に関する記事の切り抜きがいくつか出てきました。それも関西の私鉄に関する内容という、前の持ち主がそういったヲタであったと考えられるものでした。

これらの切り抜きは古新聞ゆえに相当劣化しており、保存することも検討したのですが、単純に保管しているだけでも更なる劣化が進むものと考えられることから、スキャンしてPCへ取り込んで電子化して保存することにしました。

今回はそんな切抜きの中から、とある出来事について触れた記事を紹介したいと思います。

 

さて皆さんは、東海道新幹線の線路を最初に走った営業運転の列車は何か…と問われても、このブログを閲覧しているような方ならば「阪急*1京都本線の電車」と即答できることでしょう。これは茨木付近において東海道新幹線と阪急京都本線の並走区間が出来るにあたり、阪急側の線路の築堤が完成するまでの間の暫定措置として、先に完成した新幹線の線路を一時的に借り受けて使用していたものです。これから紹介する記事は、当時の様子を取り上げたものになります。

 

国鉄新幹線を'拝借'  阪急京都線改修中乗り入れ

○…本番’夢の超特急’にさきがけ、国鉄東海道新幹線上に二十四日朝から京阪神急行の電車が一部乗り入れ、乗客を喜ばせた。

○…京都府乙訓群大山崎村から大阪府三島郡本町を抜け高槻市梶原まで三・二キロの区間だが、これは新幹線と並行する京阪神急行京都線の路盤を新幹線の路盤並みにかさ上げするため、その工事期間中の半年間だけ阪急側が国鉄から新幹線の一時使用を認めてもらったもの。

○…この日、京都発天神橋行始発普通電車から下り線の切り替えを完了、工事の都合で遅れる上り線も五月十日ごろには切り替えを終わる予定。新幹線はもちろん開通前の国鉄線を私鉄が使用するのははじめてのことだという。

(大阪)

 

国鉄新幹線を走る京阪神急行(左)

 

山陽新聞 昭和38(1963)年4月24日

 

写っている電車ですが、新幹線の軌道を走るのは1300系(初代)、旧線を走るのはP-6形こと100形でしょうか。モニター屋根を持つ丸っこい車体と武骨な車体の離合が泣かせますね。

 

’夢の超特急’に先がけ 阪急電車、新幹線を走る

阪急電鉄京都線の下り電車が、二十四日の初発から国鉄東海道新幹線大阪府三島郡本町―高槻市梶原間三・二キロを「夢の超特急」に先がけて走った。

この区間阪急京都線と新幹線が並行しているところで、阪急電鉄京都線路盤を新幹線なみの六メートルの高さにまでカサ上げ工事するため、大阪路線工事局と話合って一時新幹線の上を走らせてもらうことになったもの。上り線は新幹線の路盤工事の都合で来月十一日から走る予定だが、新幹線全区間を通じて開業までに私鉄が同線の一部を走るのはここが初めて。

国鉄新幹線は高速のため踏切事故をなくそうと全線高架橋か、路盤を高さ約六メートルまで盛土している。ところが島本―梶原間の阪急線は高さ一メートルくらいの路盤で、すぐに横に高い路盤の新幹線ができると、信号の確認や踏切の見通しが悪くなり、運転保安上にも支障が起きるので路盤を新幹線なみにカサ上げすることになっている。

阪急電鉄は上り線の移転完了と同時にカサ上げ工事にかかり、十月ごろまでに完成。新幹線から自線に移し替える。双方の路盤工事にかかる費用は合わせて十九億円。うち四億円が阪急負担。

 

東海道新幹線を走る阪急電車

左が新幹線、右は阪急京都線(大阪府三島郡本町で24日午前10時45分朝日新聞社ヘリコプターから写す)

 

???新聞 昭和38年4月

 

こちらも走っている電車は1300系(初代)でしょうか。空からでも独特のモニター屋根がいい味を出していますね。

いずれも書き起こしは原文ママとなります。

完成したばかりの新幹線の線路を走る阪急電車は結構新鮮だったらしく、これだけたくさんの新聞が取材していたのですね。同じ標準軌だからこそなせる技ですけども()

以上、阪急京都本線が嵩上げ工事を行うにあたり、東海道新幹線の線路を借りて間もない頃の新聞記事2題でした。

*1:当時はまだ京阪神急行であった