TOMIX 樽見鉄道ハイモ295-315号車 首都圏色タイプ

先日、中古店で安価で売られていたTOMIX 2617 樽見鉄道ハイモ295-315号車を購入し、かねてより思案していたことを実行しました。

それがこちらです。

 

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流れ作業で行ったため、加工途中の写真は撮影していません笑

2023年7月より首都圏色(タラコ色)に塗装された同車を、出来る限り再現してみました。

まずはIPAで塗装を剥離し、下地の塗装を行ってから、鉄道カラーの朱色4号*1を塗装しました。

屋根も同様に下地のグレーを吹いてから、屋根肩に朱色4号を塗装しました。

表記類は手元にある使えそうなものを貼っただけなので、車椅子マークとベビーカーマーク、ワンマンサボ以外は不完全です。社紋や形式に使えるものがないので、要検討ですね。

床下機器は現車と同様に塗り分けてみたいものです。

 

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こんな感じで簡単に仕上げてみました。

単色塗装ゆえに、そこまでこだわったところはありません。お持ちの方はぜひチャレンジしてみてください。

この写真の奥側は過去に作った、くま川鉄道KT-100形タイプです。方や富士重、方や新潟鐵工所製のレールバスですが、どちらも軽快な感じがいいですね。

*1:厳密には朱色5号であるが、この方が色調が近いため採用

川崎製鉄NUS5号機

先日は千葉公園に保存されている、川崎製鉄のNUS5号機を見に行ってきたので、こちらで紹介したいと思います。

 

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園内のかなり奥の方に置いてあるので、千葉駅や千葉公園駅から行くとえらい大変でした。

ご覧の通り、ホーム付の上屋の下で保存されています。


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本機はこのようなCタンクで、模型ならちょっとしたレイアウトで走らせるのにピッタリな佇まいです。

残念ながら前照灯のレンズを紛失しているのが目立ちます。


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連結器は通常の柴田式自動連結器の下に、ウィリソン式連結器を装備しており、製鉄所構内の専用線で使用された経歴を物語っています。


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正面からはこんな感じです。


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運転台側はこんな感じです。

階段があるので、中を見学できました。


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その後ろには説明板が設置されています。


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この千葉公園はかつて鉄道連隊の演習場だったため、架橋訓練用の橋脚やトンネルが残されています。

このうちトンネルのあるところは工事中だったため、近くから見学できませんでした。

青梅鉄道公園の保存車

本日は改装のための閉園が予定されている、青梅鉄道公園へ保存車を見に行ってきました。

 

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青梅鉄道公園は1962年に我国の鉄道開業90周年を記念して開園したもので、その名の通り入園料無料の「鉄道公園」として、地域の憩いの場となっていました。

そのため記念館はいわゆる「国鉄建築」の詰所風の建物だったり、園内には当時の国鉄総裁である十河信二*1の名前が記された石碑があったりします。

その後は微妙な展示物の変化を経て、1997年に展示物の整備を行った際に、入園料として100円を徴収するようになり、現在へと至っています。

当園の展示車両は開園時期が時期だけに、旧型の蒸気機関車が多く、古典機オタにとっては必見の場所でもあります。開園当初はスイスから輸入した電気機関車のED54形や、我国初期の電気式内燃機関車であるDD10形なども展示する予定だったそうですが、これらは残念ながら大宮工場で解体処分されてしまっています。

以下はそれら貴重な古典機のコレクションです。

 

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2120形2212号機

B6の名称で親しまれる、明治期の大型タンク機関車です。主に勾配路線で使用され、長野県内でも篠ノ井線などで使用されていたそうです。一部は専用線や炭鉱鉄道へと払い下げられているので、それらの個体も有名ですね。その中の1両には大井川鐵道を経て日本大学で保存されている、2109号機もあります。

Nゲージ鉄道模型でも、今は無き河合商会が製品化していたのが有名です。


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5500形5540号機

明治期の急行用テンダー機関車です。同型車が東武鉄道に多数在籍しており、現在も東武博物館にて保存されています。

同形式は、5500号機が交通博物館の展示候補になっていたものの、戦時下の金属供出の一環で解体されてしまったため、これが唯一の生き残りです。


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8620形8620号機

大正期の名機・8620形のトップナンバー車です。

急行旅客用として製造されたため、スマートな見た目が特徴的です。現在も梅小路の8630号機や、九州会社の58654号機が動態保存されていることで有名ですね。


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9600形9608号機

これもまた大正期の名機・9600形です。

貨物用として製造され、重厚な見た目が特徴です。戦時中に200両以上が中国の華中鉄道などへ供出され、その中にトップナンバーの9600号機が含まれていたため、これが国内に現存する中で一番番号が若い個体になります。

武士道機関車と呼ばれるように、足回りが左先行になっているのも本形式の特徴ですが、静態保存だとイマイチ分かりにくいですね()


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C11形C11 1号機

国鉄のタンク機関車では、一番多く動態保存されているものです。

ここではトップナンバーの1号機が保存展示されています。


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D51D51 452号機

デコイチことD51蒸気機関車です。

452号機はいわゆる標準型ですが、煙突に後藤式集煙装置を備えており、現存する中では珍しい個体です。

なおここにはかつて、食堂車のスシ28 102号車が食堂として置かれていたとのことですが、その後本機がここへ搬入されたことで場所を移動したのち、老朽化により解体されたことで、物議を醸したそうです。


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E10形

奥羽本線板谷峠を電化するまでの繋ぎとして導入された、大型タンク機関車です。最近YouTubeなどで乱発しているインチキ迷列車動画では、よくキャブフォワード式と言われていますが、炭庫と水槽が運転台よりも前にあるため、正確には異なります*2

急曲線に対応するためのフランジレス動輪が見どころです。なお本機は板谷峠の電化後に篠ノ井線の冠城越えへ転用する計画もあったとのことですが、結局は肥薩線矢岳越えへ転用されたのち、北陸本線を転々としていました。

 

続いて電気機関車や電車です。

 

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ED16形ED16 1号機

1930年代初頭に行われた中央本線上越線の電化開業に合わせ、勾配線区向けの貨物用電気機関車として製造されました。EF52形を元にD形機へ設計変更がなされたほか、勾配線区で使用するための改良がなされています。

本形式は1970年代以降は全機が立川機関区へと集結し、青梅線南武線の貨物列車に用いられたため、当地にゆかりのある機関車です。廃車後は本機の他に10号機と15号機がそれぞれ大宮工場と山梨県南アルプス市役所若草支所に保存されていましたが、いずれも2015年以降に解体されてしまったため、2023年現在において、現存するのはこの車のみです。

 

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記念館の2階からは屋根周りが見学できます。


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40系クモハ40形クモハ40054号車

関西地区の通勤輸送用として登場した、40系電車の両運転台車が、このクモハ40形です。のちにホームの延伸が整った線区が増えたことから、関東地区にも新製や転属などで配置されるようにもなりました。

このクモハ40054号車は後年の改造で運転台側の窓がHゴムになったため、正直ちと不恰好です*3

また近年行われた整備の際に屋根上の配管やランボードなどを一切撤去したため、更に原型を損ねるという改悪もされてしまいました。まぁ博物館ではなく、鉄道公園の置物なので致し方ないのでしょうけれども…。

 

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こちらは2018年に訪問したときのものです。

このときは屋根周りが改悪される前でした。

民営化後もイベント用に使用されていたため、ATS-Pに対応しており、車内にその筐体が設置されたままでした。


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0系新幹線電車22-75号車

かの有名な0系新幹線電車の上り方の制御電動車が、この22形です。搬入当初は台車以外の走行機器が欠損している状態であったらしいのですが、現在は屋根にパンタグラフが設置されています。また一時期は東北新幹線の200系をイメージした緑色に塗装されていたのも有名ですね。

 

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床下はこのように何もありません。

機器類を取り外した際に切断した電線が残されています。


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0系新幹線が展示されているところを見ると、土止めの囲いに古レールが使われていました。

 

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園内には腕木式信号機と4灯式信号機も置いてあります。

どちらも停止現示の状態での展示です。

 

以下、記念館内部のあれこれです。


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16番鉄道模型レイアウトの近くには「JR特急ヘッドマークいま・むかし」と題された展示がありますが、2023年8月現在これらは既に過去帳入りしています…。


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こちらは鉄道総研にあったらしい、模型を使った車両の試験装置だそうです。


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2階には園内の変遷や、かつてのパンフレットが展示されていました。


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201系電車の運転台も設置されており、マスコンとブレーキをガチャガチャ動かせます。


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外の券売所の壁には、どこかで見たことのあるキャラクターが貼ってありました。

 

青梅鉄道公園は今月末で一度閉園し、2025年にリニューアルオープンする予定で改装へ着手すると発表されています。

改装によって中央線や青梅線の歴史に触れる展示内容へと変化するほか、車両の「見直し」や追加がなされる予定です。この「見直し」によって撤去される車両が出るのでは⁇と危惧する声もありますが、果たしてどうなるか楽しみなところですね。

*1:国鉄御自慢の十河総裁その人である

*2:キャブフォワードとは、名前の通り運転台が炭庫やボイラーよりも前に来ている形態ゆえに、E10形では誤りである。つまるところは「炭庫側が前向きのタンク機関車」という言い方や解釈が正しい。

*3:走ルンです的には、相武台実験やマリ区の職員輸送車として活躍した、クモハ40030号車のような、どちらも原型の木枠を保つスタイルの方が好みである

SP Doll 鉄道むすめ上田れむ

一昨日銀座NAGANOで開催された、信州の私鉄・3セク鉄道4社共同のグッズ即売会にて、新商品として発売されていた「SP Doll」の上田れむを紹介したいと思います。

 

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SP Dollとは、その辺の観光地の土産物店で売られているコスチュームキューピーのノウハウを元に、完全手作業による組立を行なったドールとして、温泉むすめシリーズなどで展開されているものだそうです。どおりで見た目がキューピー人形っぽい感じなわけです。

今回のしなの鉄道鉄道むすめ「上田れむ」が、鉄道むすめとして初のSP Dollだそうで、公式Twitterなどでも多々宣伝がなされていました。

ご覧のように筒状のパッケージに入って売られています。

 

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取り出すとこんな感じです。

横に置いてあるTOMIXしなの鉄道115系1000代は比較用です。

SR1系100代を模した色のアクリル台座と、同形式のアクリルマスコットが付属しており、人形自体は透明な粘着剤で固定されています。この粘着剤は柔らかめの材質なので、保管状態によっては箱の中で前のめりになってしまいますが、簡単に修正できます。

 

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側面や後部はこの通りです。

駅務係兼SR1系の客室乗務員なのに115系1000代しかないんかい、という点は多めに見てください…(笑)

やはり髪や服の造形に、コスチュームキューピーに近いものを感じますね。

 

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頭部は左右に回せるため、このように任意の向きでディスプレイできます。

蛇足ですがSR1系自体はTOMIX製品を購入する予定なので、入手次第一緒に写真を撮ってここに載せたいと思います。というか3本中1本にしか動力がないので、あとの2本の動力をどうするか思案中です…公式はカタログに載っている分以外の部品は売ってくれないらしいので、部品取り用のE129系を買わないとダメなのかもしれないのでしょうかね。

また来年2月にようやく115系1000代の2連が発売されるので、そちらも合わせて楽しみたいところですね。

塗りガチャシリーズ「信州の懐かし鉄道」

昨日は銀座NAGANOで開催されていた、信州の私鉄・3セク鉄道4社共同のグッズ即売会にて売られていた、「塗りガチャシリーズ」の「信州の懐かし鉄道」を買ってみました。

 

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会場で売られていたのは通常版で、3回やったら草軽電鉄(以下、草軽)デキ12形とアルピコ交通(松本電鉄)デハ2形丸屋根車2両が出ました。

このほか長野電鉄3500系上田電鉄モハ5250形、アルピコ交通5000系、木曽森林鉄道のモーターカーのほか、シークレットとして駅舎や橋梁、長野電鉄2000系と3000系展望車があるそうです。

 

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手持ちの塗料の都合で、まずは草軽デキ12形を組み立ててみました。

とりあえず鉄道カラースプレーの黒で塗装してから屋根を接着するだけなので、めちゃくちゃ簡単に組み立てられました。

本来であれば新軽井沢方(機械室のある方)の前面にも前照灯が付くのですが、なぜか省略されてしまっています。また部材の関係からか、前面窓の窓枠も省略されていますが、適当なプラ材を用いて4枚窓のものと2枚窓のものを再現して遊ぶのも楽しそうです。

 

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そしてこちらはアルピコ交通浅間線デハ2形丸屋根車です。

実車はデハ6号以降の車両がこの形態をもち、在籍車のうち過半数がこれでした*1。屋根色兼下地のダークグレーを吹いて気付いたのですが、成形不良か何かに起因する小突起が多数あるのが目立ちました。

改めて削って目立たなくしてから塗装し直さないことには、現車が比較的明るい色に塗装されていたので目立ってしまいそうです。

なお屋根のビューゲルは固定しない方が、実物同様に進行方向に応じて向きを変えられるのでオススメです。デハ2形が出た方は、ぜひそうしましょう。

これらは必要な塗料が揃い次第、不具合箇所の修正を行ってから塗装したいと思います。

 

以上、簡単なレビュー(?)でした。

*1:デハ2号と4号は2重屋根である

上野駅開業140周年記念の展示

本日は所用のため上野まで行ったのですが、改札外で開業140周年記念の展示をしていることを知らずに行ったため、用事が済んだ帰りに速攻で見に行ってきました。

 

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懐かしい列車の乗車位置表示や横サボ、駅名標などのほか、1985年のつくば万博の開催期間中に運転されたエキスポライナー号や、寝台特急あけぼの号のヘッドマークが展示されていました。

 

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また651系の前頭部に取り付けられていた、電光式ヘッドマークの実物も動態で展示されており、本日はスーパーひたち15号→原ノ町行→フレッシュひたちの順で表示されていました。

こちらの画像はスマホで撮影した動画のキャプチャです。

 

 

実際の様子はこのような感じです。

ちょっと懐かしい気分になりました。

 

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そして今回のイベント限定で発売されていたのが、この「チェンジングキーホルダー」たるものです。

651系ヘッドマークを再現したもので、ホログラムによって実物同様に切り替わる様子を再現しています。

表示されるのはスーパーひたち1号仙台行です。

常磐線が全線復旧した現在も仙台行のひたちがありますので、いずれは乗りに行きたいなと思います。

小樽市総合博物館の保存車

昨日は小樽に前泊したうえで、電気機関車の解体・撤去で話題の小樽市総合博物館へ行ってきました。

 

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この小樽市総合博物館は、1962年に当時の国鉄手宮手宮駅構内にて運営していた「北海道鉄道記念館*1」を、小樽市が運営・委託受理したのを機に、年を追うごとに展示物を増やしていき、1986年にはダイヤ改正にて生じた余剰車の引き受けを行い、現在の保存車群が揃いました。

1992年にはリニューアルを行い、中央展示館などを設置したうえ、1996年に小樽交通記念館として再出発しました。しかし来館者の減少に伴い2006年に一度閉館したのち、2007年に現在の小樽市総合博物館として再出発しました。

 

前述の通り、この博物館は手宮駅跡地に所在しており、この手宮駅跡地はかつての石炭積出港の近くに所在するため、当然ながら海の近くに所在しています。そのためかつてより車両の劣化と整備のイタチごっこが問題となっており、それが新たな問題となった電気機関車の解体・撤去へとつながったと考えられます。

また修理も本格的なものではなく、傷んだ箇所を点々と直すだけといったものゆえに、根本的に修理できておらず、またそれを担うスタッフも後継者問題に悩まされているらしいという、いわば限界状態であることを、今回見た車両の姿から感じました。

 

それでは流れでささっと紹介していきたいと思います。

 

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本館入ってすぐのところには、7100形蒸気機関車の6号機「しづか号」とい1号1等客車が展示されています。

これらは鉄道80周年に合わせて修復されたものであり、屋内にて保存されていますが、しづか号は運転台に出入りできるようになっているため、窓枠などに痛みが見られました。いずれも鉄道記念物であるので、もう少し厳重にしていてもいいのではと思いました。

 

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屋外には鉄道記念物でもあり、国の重要文化財でもある、手宮機関庫があります。一部は動態保存機・アイアンホース号の車庫として現役で使用されており、転車台も大友式牽引装置という圧搾空気で稼働する方式で維持されています。

 

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こちらは7150形「大勝号」です。

北海道で初めての国産蒸気機関車と言われていますが、実際は7100形の予備部品を組み合わせただけという、某北朝鮮の金星型内燃機関車に似たような感じなのだそうです()

ゆえに完全な国産ではありません。


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ボイラーには北海道炭礦汽船のマークである、五芒星の銘板が取り付けられています。


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庫内に収蔵されているので、ワイドモードで撮影しても全体像を拝むのか難しいです。

 

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こちらは最初の除雪車を復元したものです。

いわゆる両頭式であり、前でも後ろでもどちらでも除雪できるようになっています。

なおこの車両の置かれているところですが、ピット内が浸水していてコケだらけになっていました。

重要文化財ゆえに大規模な補修が難しいとはいえ、そこはなんとかしてあげてほしいところです…。


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こちらはキハ03形レールバス です。

かなり有名な車両ゆえに説明は不用ですね。


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裏から回るとこんな感じです。


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一応ATS-Sを搭載しているらしいのですが、車上子はどこに吊るしているのでしょうかね。


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車内は噂違わぬチャチさといった感じです。

車高が極端に低いので、身長174cmの走ルンですは天井に突っかえるか否かといった感じです。

この座席も長時間座ることや2軸車特有の乗り心地を含めて考えると、なんやかんやで色々言われてる日立A-trainの煎餅布団や東日本会社の新系列電車におけるロングシート*2の方が、まだ快適かもしれません(?)

運転台もバスのものを鉄道用にリファインしたような感じです。

 

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こちらはジョルダンラッセル車のキ700形キ718号車とキ752号車です。

同じ形式でも前面の形状などが大幅に異なりますが、これは左側の50番代は近代化工事を受けているからだそうです。よって民営化後も北海道会社へと継承されています。

 

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こちらはマックレー(掻き寄せ)式雪かき車のキ800形キ800号車です。

1928年に日本初のマックレー式雪かき車のキ500形として登場したもので、設計にあたりカナダ鉄道の技師マックレーの技術を参考にしたため、マックレー式と呼ばれるようになりました。

かつては屋外に展示されていたらしいのですが、現在は庫内に収められています。


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こちらはロータリー式雪かき車のキ600形キ601号車です。

1923年にアルコことアメリカン・ロコモティブ社から輸入したもので、当初はキ300形を名乗っていました。

日本初のロータリー式雪かき車ということで保存されており、準鉄道記念物にも指定されています。

炭水車は廃車になった蒸気機関車のものを流用していたためか、ここには展示されていません。

 

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その近くには単線用ラッセル式雪かき車のキ100形キ270号車と、複線用ラッセル式雪かき車のキ550形キ1567号車です。

いずれも国鉄の雪かき車としてメジャーな形式で、特にキ100形は私鉄で現役の個体もいます。

ここに展示されているキ550形はキ100形からの改造車だそうで、単線用から複線用へと改造された形になります。

 

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機関庫から東側へ行くと、蒸気機関車資料館があります。

現在はステージ状の上屋が建っていますが、ここにはかつて倉庫などがあり、その横にC62形3号機や現在も館内に保存されているC55形50号機とC12形6号機が連結された状態で展示されていたそうです。

中には蒸気機関車の部品に囲まれて、軌道自転車2台と大型のD51形の模型、そして動輪とロッドが展示されています。動輪にはD51形60号機の刻印があるのが認められますが、ロッドは昭和35年11月付の浜松工場の刻印しか確認できませんでした。

 

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蒸気機関車資料館の奥には、2両の除雪用ディーゼル機関車が展示されています。

手前側がDD14形323号機で、ロータリー式雪かき車です。


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奥側がDD15形37号機で、ラッセル式雪かき車です。

これらも現在は除雪用モータカーに置き換えられているため、保存車などでしか見れなくなってしまいました。

 

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かつての北海道特急のエース、キハ80系内燃動車ですが、こちらにはキハ82形1号車と、キシ80形12号車、同34号車です。なぜかキシ80形が2両も保存されています。

調べたところ当初はキハ82 1+キシ80 12が展示されており、キシ80形は売店などとして使用されていたそうです。のちにキシ80 34が搬入され、それがキハ82と組成されて現在の位置に置かれたそうです。

なおキハ82 1は準鉄道記念物に指定されていますが、車体ぶち抜きのエアコン室外機が無造作に設置されているのに、なんとも言えないものを感じます。

 

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こちらは有名なマニ30形荷物車です。

日本銀行の私有客車で、現金輸送用として製造されました。運行当時は色々と物騒な噂が流れていたらしいですね。

 

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車内は一部見学できるようになっていて、現金が納められる箱や、警備員さんが乗務する座席なども見れました。


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旧型客車は35系や43系などが4両置いてあるほか、スユニ50形郵便荷物車が保存されていますが、いずれも保存車というよりは展示室といった感じらしく、やはり雑に取り付けられたエアコンの室外機や、屋根の色、住宅用の扉などが気になってしまいます。北海道の屋外に置いてあるという事情もあるのでしょうけれど……。

そして問題のひとつであるED76形500番代は、これら客車の先頭に連結されていました。

 

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公道に面したところから解体の様子がチラッと見えました。

既にパンタグラフや屋根上機器は下ろされており、屋根自体も撤去されていると考えられます。

素人目には屋根を外して*3から、機器の撤去だけで済みそうな感じがしますが、どうやら車両自体の老朽化もあって、完全に解体・撤去する方向へと動いたそうです。

ED76形500番代は同じ道内の三笠鉄道記念館にも保存されていますが、こちらは既に2014年にPCB含有の疑いのある機器類の除去が済んでおり、屋内で保存されていることもあって、2023年現在も引き続き保存されています*4

いくら保存車とはいえ、法的に引っかかるところをそのままにするのも許されることではないため、貴重な文化財を後世へどう残していくか……解体される機関車を見ながら、難しい問題であることを改めて感じました。

 

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その近くにはDE10形の貨物列車が展示されており、Nゲージ鉄道模型のような趣を見せています。


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先頭はDE10形500番代のDE10 503号機です。

500番代は国鉄末期に大幅なリストラが行われた区分のひとつで、保存車はこの1両だけです。


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続いてワム80000形有蓋車のワム82506号車です。

退色したような変な色に塗り直されています。

また基本番代ゆえに普通鋼製の扉であるため、劣化が目立ちます。


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続いてセキ6000形石炭車のセキ7342号車です。

石炭積出の拠点であった当地に相応しい車両ですね。


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続いてトラ55000形無蓋車のトラ57964号車です。

全鋼製の無蓋車ゆえに、これも痛みが目立ちます。


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続いてホキ2200形ホッパ車のホキ2226号車です。

一部の外板が捲れ上がっています。


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最後はワフ29500形緩急車のワフ29984号車です。

やはり劣化が目立ちます。

 

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さらにその隣にある石炭積出設備への築堤跡には、DD51形に繋がれた救援列車が置かれています。

先頭はDD51形500番代のDD51 615号機です。

この機関車はなんと新製配置が長野機関区だそうで、電化前の篠ノ井線で活躍していたそうです。道内に転入してからラジエータカバーの撤去が行われたほか、雪かき車の警笛の音を拾うためのスピーカーがボンネットに増設されています。

残念ながら前面のナンバーは文字が欠落したままになっているほか、機関車横の路面は陥没したままになっています。


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救援車は2両連結されており、南小樽方からオエ61形オエ61 309号車と、スエ78形スエ78 305号車です。

これらの車内の一部は見学できるようになっており、当時の備品と思われる品々も展示されていました。


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それに続くのは操重車*5のソ30形ソ34号車と、控車として使われていたチキ6000形チキ6141号車です。

チキ6000形は比較的新しい長物車ですが、国鉄末期のリストラの影響で廃車されてしまった仲間も存在する、ちょっと悲しい車両です。車体をよく見たら床板が腐って抜けているところがありました。

ソ30形は近くから見れないため、帰りに外側から撮影しました。


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最後は車掌車のヨ6000形ヨ7904号車です。

やはり外板の劣化が進行しており、もはや放置車と見紛うような姿です…。

これも近くから見学できないため、外から撮影しました。

 

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続いて手宮口付近からずらっと並べられている車両です。

先頭はC12形蒸気機関車のC12 6号機です。


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そのあとにキシ80 12号車が続き、なぜかそれと連結されているキハ22形内燃動車のキハ22 56号車が続きます。

かつてはキハユニ25 1号車やキハ56系などと一緒に置かれていたらしいのですか、なぜかこれだけ離されています。


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こちらも物議を醸している、ED75形500番代電気機関車ED75 501号機です。

北海道における国鉄の交流電化に合わせて登場した、事実上の試作機です。やはりこれもPCBの都合から解体・撤去されるとのことですが、こうなる前に手を打つことは出来なかったのでしょうか*6

この車両も準鉄道記念物に指定されており、なんとも言えないものを感じます。


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こちらはキハ20系とキハ56系から組成される、急行列車を模した展示です。

先頭からキハユニ25形キハユニ25 1号車、キハ27 11号車、キロ26 107号車、キハ56 23号車です。

いずれも車体にパッチワーク状の補修が入っており、剥がした下がどうなってるかはお察しでしょうか……*7

キハ56系には急行のサボが入っていますが、本物かレプリカかは不明です。


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その後ろにディーゼル機関車のDD16形DD16 17号機と、DD13形DD13 611号機です。

DD13形ですが前照灯周りの腐食が激しいです。

いずれの車両も海に近いからか腐食が激しかったり、おざなりな補修の影響から劣化が激しかったりと、維持管理の苦労が偲ばれます。

 

帰り際に館内の売店にて、グッズ類を買えるだけたくさん買って帰ってきたのですが、これが少しでも貢献できたらと思います。


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館内には蒸気機関車のナンバープレートが大量に展示してあったのですが、よく見るとちょっとレアな車両のものや解体されてしまった保存車のものなどが混ざっています。

お出かけの際は是非チェックしてみてください。

 

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館外にはレストランとして使用されている43系客車とワフ29500形緩急車も置いてあります。

時間の関係でパスしてしまいましたが、次回行く機会があればご飯を食べてみたいと思います。

 

2023/08/29 追記:本日付の北海道新聞の記事にて、解体予定の電気機関車は、有害物質を含む機器類を撤去した後に保存を継続する旨が掲載されました。このうち準鉄道記念物に指定されているED75形はそのままですが、ED76形は残念ながら前頭部をカットモデルにして保存されるとのことです。訪問した地点で解体が進んでいたため、後戻りができない状態だったことが考えられます。いずれにせよ、曲がりなりにも貴重な遺産が継続して保存されるので、喜ばしい限りです。

*1:現在の苗穂に所在するものとは異なる

*2:腰痛持ちの走ルンですとしては、新系列電車のロングシートは程よい硬さで快適に感じます

*3:電気機関車の屋根は点検時に取り外して中の機器類を取り出せるようになっている

*4:であらば、どうして小樽は今の今に至るまで、何もせずにずっと放置していたのか、という疑問も生じるが……

*5:いわゆるロコクレーン

*6:なお今回問題となった法律は2001年に施行されているため、腐食が進んでいないうちに募金を募って撤去費用を捻出するなどして、対策をしようと思えばできたはずである

*7:腐食箇所は完全に切除してから補修をしないと、その下は腐食したままであるため、長期間放置するとどうなるかは…ナオキです