東武の支線に乗ったおはなし

昨日は東武博物館の保存車を記事にしたのですが、そこに行くまでに亀戸線に乗り、そこからの帰りに大師線に乗ってきたので、その様子をご紹介したいと思います。

 

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いつもは通過してしまう亀戸駅ですが、東武線乗り換え改札からホームへ行くと、このような味のある光景が広がっていました。

よく見るとこのホームに臨した線路は微妙な下り勾配になっているらしく、例のガチャマン衝突事件は本当だったのかな…と思ってしまいました()


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やってきたのは8000系8500型の8565Fです。

ワンマン化改造を受けているため、前面下の隅にホーム検知器が付いているのが特徴です。

やはり8000系修繕車はこの色が一番似合いますね。


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この編成のクハ8665号車の通し番号は1234だったということを初めて知りました((


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亀戸線は複線でありながらもスローペースで走るのですが、駅数が少ないことから亀戸駅から曳舟駅まであっという間の乗車体験でした。

そのため野田線の8000系に乗り慣れていると、少し物足りなく感じます(笑)

 

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続いて東武博物館最寄駅の東向島駅から大師線に乗るべく西新井駅へ向かうと、ホームまでの階段には78系に塗られた緑色の試験塗装を纏う8000系8500型の8568Fを「草だんご」とゴリ押し紹介する掲示物がたくさんありました(笑)

亀戸線ではミドリガメと呼ばれているのが、ここでは草だんごに変わるのが面白いですね。

 

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ホームに降りて待っていたのは、ミドリガメや草だんごこと8568Fではなく、黄色の試験塗装を模した8575Fでした。

大師線は元々西板線計画の一部として、西新井駅から下板橋駅までを結ぶ路線になるはずだったことを意識して乗ると、とても夢の跡といった感じがして面白かったです。

また終点の大師前駅は1面2線に出来そうな意味深な構造だったのも興味深かったです。


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大師前駅はノーラッチですが、一応改札の船自体はありまして、そこにも同線で活躍する8000系をゴリ押し紹介するポスターなどがありました。

他にも駅構内の至る所に同様の掲示物があって、都会の盲腸線を盛り上げようとする意気込みを感じました(笑)

機会があればまたの機会も乗ってみたいものです。

東武博物館の保存車

先日は久々に東武博物館へ行ってきました。

東武博物館は「交通と文化の東武博物館」をキャッチコピーとし、1989年に東武鉄道創立90周年を記念して東向島駅の高架下に建てられた博物館です。開館前は葛生や東武動物公園、更には業平橋などのヤード跡地に設立したうえで、本線と接続することで車両の展示入替を柔軟にする計画があったものの、都心側に近くちょうどよい場所ということで現在地に落ち着いたのだそうです。

 

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入ってすぐのエントランスには、B1形蒸気機関車の5号機が展示されています。

東武鉄道創業時に用いられた機関車のうちの1両で、イギリス・ベイヤーピーコック社製のものです。

保存にあたり登場時の姿に戻されたのと、動態保存の計画があったらしいことから、とても美しい状態です。また車輪を動かしたり汽笛を鳴らしたりできるので、近付くと油の匂いがします。

 

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その隣にはデハ1形デハ5号が保存されています。

こちらも東武最初の電車ということで保存されており、一部は運輸省より63系割当の見返りとして新潟交通などへ供出されたり、客車化されて熊谷線や矢板線などで使用されたりしていました。

このデハ5号は西新井工場の入換動車として用いられていたものを、登場時の姿に復元したものです。

 

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小学校に面した中庭にも2両が保存されています。

こちらはED100形ED101号で、東武最初の電気機関車として保存されています。

本来であれば開館当初から保存する計画があったものの、当時所有していた近江鉄道が保存を見込んでいたことから返還を拒否したらしく、2009年のリニューアルまで保存は見送られてしまいました。


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その隣には5700系モハ5701号が保存されています。

5700系は東武が戦後に生み出した特急車両で、A編成とB編成と呼ばれるグループは片方の先頭車が湘南顔に近い2枚窓の前面デザインを採用したことで、「ねこヒゲ」のあだ名がありました。

のちに貫通型前面へ改造されてからも優等運用に使われたものの、平成3年ごろに引退しました。この5701Fだけは廃車後も保管されていたのですが、保存場所の関係でモハ5701号を残して解体されてしまいました…。


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その傍らにはモハ5701号の復元に用いた前頭部の金型もあります。

 

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なお館内にはアルナ工機で保存されていた5700系モハ5703号の前頭部も保存されています。こちらの胴体および相方のクハ703号は、埼玉県内のレストラン「マスタード・シード」にて保存されています。

 

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こちらはED5010形ED5015号です。

ED101号が保存できなかった代替として、ED5000形以降に造られた東武電気機関車の代表として保存されております。現在は横に資材置き場があるため、全体を綺麗に見ることが難しくなってしまいました。


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その横には明智平ロープウェイの搬器と日産ディーゼル製キャブオーバーバスも展示されています。

 

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台車は3台が保存されており、3000系で用いたものと8000系8101Fのもの、鬼怒川線の前身である下野電気鉄道→銚子電気鉄道で用いていたものがあります。


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無蓋貨車トキ1形を短縮したものも保存されています。


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屋外の公道に面した側には1720型モハ1721号のカットモデルが保存されています。

場所の関係からこのような状態になってしまったのだそうで…。


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台車は200型へ流用されたため、元々履いていた2000系のものが取り付けられています。


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館内からの入口にはライトユニットの展示もあります。


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車内はこのような感じです。

実際に座ってみると、広々としたシートピッチが快適でいいですね。


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その隣にいる日光軌道線用の連節車・200形です。

100形をそのまま連節車にしたような見た目が特徴です。


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こちらも館内から車内に入ることができます。

クラシカルな感じがいいですね。


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最後に博物館から少し歩いた水戸街道沿いに置かれているB1形蒸気機関車の6号機です。

こちらも5号機関車同様のベイヤーピーコック社製で、廃車時の姿で保存されています。

 

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この他、館内には路線バスのシミュレータの筐体として、日野RE120のカットモデルが置いてあります。

前頭部をかなり複雑にカットしてあるらしく、近付いて見ると前面方向幕が下半分だけ残されていました。

 

以上、東武博物館の保存社の紹介でした。

千葉内陸バス1214号車

先日千葉駅前にて、トミーテックがデザインを監修したことで有名な、千葉内陸バスの1214号車を初めて拝見しました。

 

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千葉内陸バスの車体色は以前より白地に緑帯というもので、これがかつてTOMIXより発売されていた「富士重工路線バス*1」の塗装に似ているとのことで、本車の導入にあたり両社のコラボに至ったのだそうです。

この角度からだと分かりにくくて恐縮ですが、真横から見ると分かる人には懐かしい、あの塗装が実物で再現されていて、ちょっとしたこだわりを感じます。


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当然ながら前面や側面にはTOMYTECやTOMIXのロゴが入っています。

この企画により、登場間もない頃に本車のバスコレも販売されたことは記憶に新しいですね。当然ながら私も一つ買ったので、手元のコレクション箱の中に、他の京成グループの車両共々収まっております(笑)

*1:当時最新鋭の7Eボディの路線車を模したもの

KATO 東京地下鉄02系80番代 02-181F

巷では中古屋などで塚と化している(らしい)KATOの地下鉄シリーズ。特に銀座線と丸ノ内線は遊べる範囲も狭まることから、たまーに並んでいるのを見かけます。

しかし私のような第三軌条集電の地下鉄が好きな者にとっては、手頃な値段で買えるチャンスとあって、見つけ次第お財布と相談しては買って帰って悦に浸っております。

それを続けているうちに、いつのまにか銀座線が10本、丸ノ内線が11本にまで増えてしまいました(笑)

今回はそんな中から、最近増やした丸ノ内線02系の方南町分岐線用の80番代車を紹介いたします。

02系80番代は丸ノ内線方南町分岐線用に投入されたもので、3両編成に本線用とは異なる帯が特徴です。

 

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模型は適当に拾った02系をベースに、幕板の帯を消してからCrossPointの帯ステッカーを貼っただけのお手軽改造です。

ドアや優先席のステッカーは銀河モデルのものです。

台車の集電シュー周りは色差しをしてあります。

 

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手元には既にB修繕車(元非冷暖房車)や、ボルスタレス台車を履いた20F以降のグループ、そして50周年記念ラッピング車もあります。

前面の連結器は私の好みでassyパーツを用いて電連付のものにしています。銀座線や丸ノ内線のトムリンソン式連結器は下に電連が付いていないと、開きっぱなしの扉のような違和感を感じてしまいます…。

現車は徐々に数を減らしつつありますが、模型の世界ではいつまでも走らせたいものですね。

2000形車両ブルーリボン賞受賞記念乗車券

今回の切符これくしょんは「2000形車両ブルーリボン賞受賞記念乗車券」を紹介いたします。

京急2000形は1982年に登場した快特専用の2ドア・クロスシート車で、2100形の登場に伴い3ドア車へ改造され、2018年まで現役で活躍していました。2022年5月現在は引退前に旧塗装に戻された2011Fから3両が、800形823Fの3両と共に久里浜工場内にて保存を前提に留置されています。

この2000形は登場翌年の1983年に鉄道友の会よりブルーリボン賞を受賞しており、この乗車券はそれを記念するものです。

 

 

乗車券は3枚組で、切り離すとお洒落なペナントになります。

ビニールの封印に用いられている社紋の描かれたシールがいい味を出しています。

裏面には京急からの挨拶文も書かれており、この車両に対する意気込みを感じますね。

古の鉄ピクから出てきた切り抜きより…その2

前回の記事では新幹線を走った阪急電車の記事を紹介した、鉄ピクの中から出てきた古新聞の切り抜き。今回は京阪電車淀屋橋延伸開業に関する記事を紹介したいと思います。

京阪電鉄京阪本線は開業時より大阪側は天満橋駅が起点であったものの、1963年に計画当初に乗り入れを目論んだ北浜を経由して淀屋橋までの地下新線を開業させました。これに伴い、新型特急車1900系*1が登場したり、「京阪特急の歌」も天満橋から淀屋橋へと歌詞が変更されたりしました。

今回の切り抜きも2つの新聞のものがあるので、それぞれ紹介したいと思います。

 

処女電車スタート 京阪淀屋橋乗入れ完工式

京阪電車淀屋橋地下延長線完工式は十五日朝九時半から新装の淀屋橋駅中二階コンコースで行われた。

天満宮寺井宮司がおはらいをしたあと、村岡京阪電鉄社長があいさつ、三百五十人の来賓を代表して、運輸、建設両大臣代理、小田原大阪商工会議所会頭らが祝辞をのべた。

ついで同駅三番ホームで発車式に移り、午前十一時すぎ村岡社長が造花で飾られた処女電車のテープにハサミを入れ、大阪府警音楽隊のかなでるマーチの中に、同電車は来賓を乗せてスタートした。

午後三時まで一般参会者のため試乗用電車が淀屋橋天満橋間を運転した。

同夜、旧天満橋駅入り口の寝屋川橋梁部で既設線と新線との切換え工事を終り、十六日初発から営業運転する。

 

完成した淀屋橋駅の発車式でテープを切る村岡京阪電鉄社長(15日午前11時15分写す)

 

???新聞 昭和38年4月

 

こちらは記事のみの切り抜きであること、どの新聞のものかメモもないことから詳細は不明です。こちらには開業式典の概要のみが記されています。

 

はなやかに完工式 ―京阪、淀屋橋地下線延長―

私鉄 都心乗り入れ第一号

喜び乗せ処女電車 ビジネス街と直結

私鉄の都心乗り入れ第一号として、京阪電鉄が建設を急いでいた淀屋橋地下延長工事の完工式が十五日午前九時三十分から、淀屋橋の同電鉄淀屋橋駅で行なわれた。開通は十六日朝の始発からで、これで京阪は沿線と大阪のビジネスセンターである北浜、船場淀屋橋を直結するとともに、地下鉄淀屋橋駅と連絡、京阪京橋駅、同天満橋駅淀屋橋一帯の混雑緩和に大きな役割りを果たすことになる。

日本一明るい地下駅

寺井種長天満宮宮司のおはらいのあと、村岡四郎社長のあいさつ、今田英作副社長の新線説明があり、来賓から私鉄地下乗り入れ第一号を祝することばがつぎつぎとおくられ。このあと同駅三番ホームで発車式が行なわれ、同十一時すぎ大阪府警音楽隊の演奏の演奏のうちに小田原大造大阪商工会議所会頭の孫娘、洋子ちゃん(一三)から村岡社長に花束が贈られ、同社長が処女電車にはられたテープにはさみをいれた。

つづいて、参列者が紅、白、金のテープと造花にかざられた電車に乗り込んだ。電車はすべるようにホームをはなれた。

なお営業開始は十六日からで、初発電車は守口を午前四時四十五分に発車、同五十五分淀屋橋駅につく。

淀屋橋乗り入れは明治四十三年同社開業以来の念願で、さる三十六年一月十日から二年三か月で宿願を達成した。総工費は六十八億円で天満橋から土佐堀川の下を淀屋橋まで約一・八キロだからレール一メートルあたりの費用はざっと三百七十万円、文字通り一万円札の上を走っているようなもの。このため工事もたいへんで、この工事に投入した労務者は七十万人、生コンクリートは八万九〇〇〇立方メートルでトラック二十万台分、ミキサーで三万台分、鋼材は二万トン。掘りだした土は四〇万立方メートルで新阪急ビルの三倍半というからすごい。

新線の駅は天満橋、北浜、淀屋橋の三駅で、いずれも総タイル張り。壁はモザイク、天井は吸音アルミニューム板をはったうえ天満橋で三千六百七十三本、北浜で二千二百八十七本、淀屋橋は四千九百五十本の蛍光灯をつけ、日本一明るい地下駅となっている。日本一といえば北浜―淀屋橋間七〇〇メートルの地下プロムナードもりっぱなもの。地下を二階にして地下二階に電車を、地下一階を雨の日など乗降客がぬれないようにと、同社でとくにつくったもので、地下へ十六か所の連絡口があり、地上交通ラッシュを緩和しようという配慮がなされている。

新線の利用者は北浜で四万、淀屋橋で八万と計十四万人が予想され、京阪では約五億円の増収とみているが、沿線の通勤者たちは「朝三十分寝坊できる」「雨の日、タクシーをひろう苦労がなくなった」と大喜び。大阪府警交通部でも、これで天満橋、京橋方面の交通の流れがスムーズになると期待している。

なお天満橋淀屋橋間の料金は二十円。

 

はなやかにかざられた都心乗り入れ一号電車は今やスタート直前

 

大阪新聞 昭和38年4月15日 夕刊A版

 

こちら大阪新聞の記事では、かなり詳細なことが書かれています。

また「一万円札の上を走っているようなもの」という表現に大阪らしさを感じますね。

いずれも書き起こしは原文ママです。

なおこれらの切り抜きの他、地下化間もない天満橋駅の切り抜きも一緒に挟まっていたので、最後にお目にかけたいと思います。

 

 

タイル張りの柱や壁に一昔前の地下鉄らしさを感じますね。

*1:後に一般車へ格下げ

古の鉄ピクから出てきた切り抜きより…その1

昨年12月に秋ポポへ立ち寄ったときのこと。地下1階の古書コーナーを見ていると、たまたま探していた昭和30年代の鉄道ピクトリアル(以下、鉄ピク)を発見し、買って帰ることにしました。うちに着いてから中を開けるとアラびっくり。なんと当時の新聞の鉄道に関する記事の切り抜きがいくつか出てきました。それも関西の私鉄に関する内容という、前の持ち主がそういったヲタであったと考えられるものでした。

これらの切り抜きは古新聞ゆえに相当劣化しており、保存することも検討したのですが、単純に保管しているだけでも更なる劣化が進むものと考えられることから、スキャンしてPCへ取り込んで電子化して保存することにしました。

今回はそんな切抜きの中から、とある出来事について触れた記事を紹介したいと思います。

 

さて皆さんは、東海道新幹線の線路を最初に走った営業運転の列車は何か…と問われても、このブログを閲覧しているような方ならば「阪急*1京都本線の電車」と即答できることでしょう。これは茨木付近において東海道新幹線と阪急京都本線の並走区間が出来るにあたり、阪急側の線路の築堤が完成するまでの間の暫定措置として、先に完成した新幹線の線路を一時的に借り受けて使用していたものです。これから紹介する記事は、当時の様子を取り上げたものになります。

 

国鉄新幹線を'拝借'  阪急京都線改修中乗り入れ

○…本番’夢の超特急’にさきがけ、国鉄東海道新幹線上に二十四日朝から京阪神急行の電車が一部乗り入れ、乗客を喜ばせた。

○…京都府乙訓群大山崎村から大阪府三島郡本町を抜け高槻市梶原まで三・二キロの区間だが、これは新幹線と並行する京阪神急行京都線の路盤を新幹線の路盤並みにかさ上げするため、その工事期間中の半年間だけ阪急側が国鉄から新幹線の一時使用を認めてもらったもの。

○…この日、京都発天神橋行始発普通電車から下り線の切り替えを完了、工事の都合で遅れる上り線も五月十日ごろには切り替えを終わる予定。新幹線はもちろん開通前の国鉄線を私鉄が使用するのははじめてのことだという。

(大阪)

 

国鉄新幹線を走る京阪神急行(左)

 

山陽新聞 昭和38(1963)年4月24日

 

写っている電車ですが、新幹線の軌道を走るのは1300系(初代)、旧線を走るのはP-6形こと100形でしょうか。モニター屋根を持つ丸っこい車体と武骨な車体の離合が泣かせますね。

 

’夢の超特急’に先がけ 阪急電車、新幹線を走る

阪急電鉄京都線の下り電車が、二十四日の初発から国鉄東海道新幹線大阪府三島郡本町―高槻市梶原間三・二キロを「夢の超特急」に先がけて走った。

この区間阪急京都線と新幹線が並行しているところで、阪急電鉄京都線路盤を新幹線なみの六メートルの高さにまでカサ上げ工事するため、大阪路線工事局と話合って一時新幹線の上を走らせてもらうことになったもの。上り線は新幹線の路盤工事の都合で来月十一日から走る予定だが、新幹線全区間を通じて開業までに私鉄が同線の一部を走るのはここが初めて。

国鉄新幹線は高速のため踏切事故をなくそうと全線高架橋か、路盤を高さ約六メートルまで盛土している。ところが島本―梶原間の阪急線は高さ一メートルくらいの路盤で、すぐに横に高い路盤の新幹線ができると、信号の確認や踏切の見通しが悪くなり、運転保安上にも支障が起きるので路盤を新幹線なみにカサ上げすることになっている。

阪急電鉄は上り線の移転完了と同時にカサ上げ工事にかかり、十月ごろまでに完成。新幹線から自線に移し替える。双方の路盤工事にかかる費用は合わせて十九億円。うち四億円が阪急負担。

 

東海道新幹線を走る阪急電車

左が新幹線、右は阪急京都線(大阪府三島郡本町で24日午前10時45分朝日新聞社ヘリコプターから写す)

 

???新聞 昭和38年4月

 

こちらも走っている電車は1300系(初代)でしょうか。空からでも独特のモニター屋根がいい味を出していますね。

いずれも書き起こしは原文ママとなります。

完成したばかりの新幹線の線路を走る阪急電車は結構新鮮だったらしく、これだけたくさんの新聞が取材していたのですね。同じ標準軌だからこそなせる技ですけども()

以上、阪急京都本線が嵩上げ工事を行うにあたり、東海道新幹線の線路を借りて間もない頃の新聞記事2題でした。

*1:当時はまだ京阪神急行であった