2000形車両ブルーリボン賞受賞記念乗車券

今回の切符これくしょんは「2000形車両ブルーリボン賞受賞記念乗車券」を紹介いたします。

京急2000形は1982年に登場した快特専用の2ドア・クロスシート車で、2100形の登場に伴い3ドア車へ改造され、2018年まで現役で活躍していました。2022年5月現在は引退前に旧塗装に戻された2011Fから3両が、800形823Fの3両と共に久里浜工場内にて保存を前提に留置されています。

この2000形は登場翌年の1983年に鉄道友の会よりブルーリボン賞を受賞しており、この乗車券はそれを記念するものです。

 

 

乗車券は3枚組で、切り離すとお洒落なペナントになります。

ビニールの封印に用いられている社紋の描かれたシールがいい味を出しています。

裏面には京急からの挨拶文も書かれており、この車両に対する意気込みを感じますね。

古の鉄ピクから出てきた切り抜きより…その2

前回の記事では新幹線を走った阪急電車の記事を紹介した、鉄ピクの中から出てきた古新聞の切り抜き。今回は京阪電車淀屋橋延伸開業に関する記事を紹介したいと思います。

京阪電鉄京阪本線は開業時より大阪側は天満橋駅が起点であったものの、1963年に計画当初に乗り入れを目論んだ北浜を経由して淀屋橋までの地下新線を開業させました。これに伴い、新型特急車1900系*1が登場したり、「京阪特急の歌」も天満橋から淀屋橋へと歌詞が変更されたりしました。

今回の切り抜きも2つの新聞のものがあるので、それぞれ紹介したいと思います。

 

処女電車スタート 京阪淀屋橋乗入れ完工式

京阪電車淀屋橋地下延長線完工式は十五日朝九時半から新装の淀屋橋駅中二階コンコースで行われた。

天満宮寺井宮司がおはらいをしたあと、村岡京阪電鉄社長があいさつ、三百五十人の来賓を代表して、運輸、建設両大臣代理、小田原大阪商工会議所会頭らが祝辞をのべた。

ついで同駅三番ホームで発車式に移り、午前十一時すぎ村岡社長が造花で飾られた処女電車のテープにハサミを入れ、大阪府警音楽隊のかなでるマーチの中に、同電車は来賓を乗せてスタートした。

午後三時まで一般参会者のため試乗用電車が淀屋橋天満橋間を運転した。

同夜、旧天満橋駅入り口の寝屋川橋梁部で既設線と新線との切換え工事を終り、十六日初発から営業運転する。

 

完成した淀屋橋駅の発車式でテープを切る村岡京阪電鉄社長(15日午前11時15分写す)

 

???新聞 昭和38年4月

 

こちらは記事のみの切り抜きであること、どの新聞のものかメモもないことから詳細は不明です。こちらには開業式典の概要のみが記されています。

 

はなやかに完工式 ―京阪、淀屋橋地下線延長―

私鉄 都心乗り入れ第一号

喜び乗せ処女電車 ビジネス街と直結

私鉄の都心乗り入れ第一号として、京阪電鉄が建設を急いでいた淀屋橋地下延長工事の完工式が十五日午前九時三十分から、淀屋橋の同電鉄淀屋橋駅で行なわれた。開通は十六日朝の始発からで、これで京阪は沿線と大阪のビジネスセンターである北浜、船場淀屋橋を直結するとともに、地下鉄淀屋橋駅と連絡、京阪京橋駅、同天満橋駅淀屋橋一帯の混雑緩和に大きな役割りを果たすことになる。

日本一明るい地下駅

寺井種長天満宮宮司のおはらいのあと、村岡四郎社長のあいさつ、今田英作副社長の新線説明があり、来賓から私鉄地下乗り入れ第一号を祝することばがつぎつぎとおくられ。このあと同駅三番ホームで発車式が行なわれ、同十一時すぎ大阪府警音楽隊の演奏の演奏のうちに小田原大造大阪商工会議所会頭の孫娘、洋子ちゃん(一三)から村岡社長に花束が贈られ、同社長が処女電車にはられたテープにはさみをいれた。

つづいて、参列者が紅、白、金のテープと造花にかざられた電車に乗り込んだ。電車はすべるようにホームをはなれた。

なお営業開始は十六日からで、初発電車は守口を午前四時四十五分に発車、同五十五分淀屋橋駅につく。

淀屋橋乗り入れは明治四十三年同社開業以来の念願で、さる三十六年一月十日から二年三か月で宿願を達成した。総工費は六十八億円で天満橋から土佐堀川の下を淀屋橋まで約一・八キロだからレール一メートルあたりの費用はざっと三百七十万円、文字通り一万円札の上を走っているようなもの。このため工事もたいへんで、この工事に投入した労務者は七十万人、生コンクリートは八万九〇〇〇立方メートルでトラック二十万台分、ミキサーで三万台分、鋼材は二万トン。掘りだした土は四〇万立方メートルで新阪急ビルの三倍半というからすごい。

新線の駅は天満橋、北浜、淀屋橋の三駅で、いずれも総タイル張り。壁はモザイク、天井は吸音アルミニューム板をはったうえ天満橋で三千六百七十三本、北浜で二千二百八十七本、淀屋橋は四千九百五十本の蛍光灯をつけ、日本一明るい地下駅となっている。日本一といえば北浜―淀屋橋間七〇〇メートルの地下プロムナードもりっぱなもの。地下を二階にして地下二階に電車を、地下一階を雨の日など乗降客がぬれないようにと、同社でとくにつくったもので、地下へ十六か所の連絡口があり、地上交通ラッシュを緩和しようという配慮がなされている。

新線の利用者は北浜で四万、淀屋橋で八万と計十四万人が予想され、京阪では約五億円の増収とみているが、沿線の通勤者たちは「朝三十分寝坊できる」「雨の日、タクシーをひろう苦労がなくなった」と大喜び。大阪府警交通部でも、これで天満橋、京橋方面の交通の流れがスムーズになると期待している。

なお天満橋淀屋橋間の料金は二十円。

 

はなやかにかざられた都心乗り入れ一号電車は今やスタート直前

 

大阪新聞 昭和38年4月15日 夕刊A版

 

こちら大阪新聞の記事では、かなり詳細なことが書かれています。

また「一万円札の上を走っているようなもの」という表現に大阪らしさを感じますね。

いずれも書き起こしは原文ママです。

なおこれらの切り抜きの他、地下化間もない天満橋駅の切り抜きも一緒に挟まっていたので、最後にお目にかけたいと思います。

 

 

タイル張りの柱や壁に一昔前の地下鉄らしさを感じますね。

*1:後に一般車へ格下げ

古の鉄ピクから出てきた切り抜きより…その1

昨年12月に秋ポポへ立ち寄ったときのこと。地下1階の古書コーナーを見ていると、たまたま探していた昭和30年代の鉄道ピクトリアル(以下、鉄ピク)を発見し、買って帰ることにしました。うちに着いてから中を開けるとアラびっくり。なんと当時の新聞の鉄道に関する記事の切り抜きがいくつか出てきました。それも関西の私鉄に関する内容という、前の持ち主がそういったヲタであったと考えられるものでした。

これらの切り抜きは古新聞ゆえに相当劣化しており、保存することも検討したのですが、単純に保管しているだけでも更なる劣化が進むものと考えられることから、スキャンしてPCへ取り込んで電子化して保存することにしました。

今回はそんな切抜きの中から、とある出来事について触れた記事を紹介したいと思います。

 

さて皆さんは、東海道新幹線の線路を最初に走った営業運転の列車は何か…と問われても、このブログを閲覧しているような方ならば「阪急*1京都本線の電車」と即答できることでしょう。これは茨木付近において東海道新幹線と阪急京都本線の並走区間が出来るにあたり、阪急側の線路の築堤が完成するまでの間の暫定措置として、先に完成した新幹線の線路を一時的に借り受けて使用していたものです。これから紹介する記事は、当時の様子を取り上げたものになります。

 

国鉄新幹線を'拝借'  阪急京都線改修中乗り入れ

○…本番’夢の超特急’にさきがけ、国鉄東海道新幹線上に二十四日朝から京阪神急行の電車が一部乗り入れ、乗客を喜ばせた。

○…京都府乙訓群大山崎村から大阪府三島郡本町を抜け高槻市梶原まで三・二キロの区間だが、これは新幹線と並行する京阪神急行京都線の路盤を新幹線の路盤並みにかさ上げするため、その工事期間中の半年間だけ阪急側が国鉄から新幹線の一時使用を認めてもらったもの。

○…この日、京都発天神橋行始発普通電車から下り線の切り替えを完了、工事の都合で遅れる上り線も五月十日ごろには切り替えを終わる予定。新幹線はもちろん開通前の国鉄線を私鉄が使用するのははじめてのことだという。

(大阪)

 

国鉄新幹線を走る京阪神急行(左)

 

山陽新聞 昭和38(1963)年4月24日

 

写っている電車ですが、新幹線の軌道を走るのは1300系(初代)、旧線を走るのはP-6形こと100形でしょうか。モニター屋根を持つ丸っこい車体と武骨な車体の離合が泣かせますね。

 

’夢の超特急’に先がけ 阪急電車、新幹線を走る

阪急電鉄京都線の下り電車が、二十四日の初発から国鉄東海道新幹線大阪府三島郡本町―高槻市梶原間三・二キロを「夢の超特急」に先がけて走った。

この区間阪急京都線と新幹線が並行しているところで、阪急電鉄京都線路盤を新幹線なみの六メートルの高さにまでカサ上げ工事するため、大阪路線工事局と話合って一時新幹線の上を走らせてもらうことになったもの。上り線は新幹線の路盤工事の都合で来月十一日から走る予定だが、新幹線全区間を通じて開業までに私鉄が同線の一部を走るのはここが初めて。

国鉄新幹線は高速のため踏切事故をなくそうと全線高架橋か、路盤を高さ約六メートルまで盛土している。ところが島本―梶原間の阪急線は高さ一メートルくらいの路盤で、すぐに横に高い路盤の新幹線ができると、信号の確認や踏切の見通しが悪くなり、運転保安上にも支障が起きるので路盤を新幹線なみにカサ上げすることになっている。

阪急電鉄は上り線の移転完了と同時にカサ上げ工事にかかり、十月ごろまでに完成。新幹線から自線に移し替える。双方の路盤工事にかかる費用は合わせて十九億円。うち四億円が阪急負担。

 

東海道新幹線を走る阪急電車

左が新幹線、右は阪急京都線(大阪府三島郡本町で24日午前10時45分朝日新聞社ヘリコプターから写す)

 

???新聞 昭和38年4月

 

こちらも走っている電車は1300系(初代)でしょうか。空からでも独特のモニター屋根がいい味を出していますね。

いずれも書き起こしは原文ママとなります。

完成したばかりの新幹線の線路を走る阪急電車は結構新鮮だったらしく、これだけたくさんの新聞が取材していたのですね。同じ標準軌だからこそなせる技ですけども()

以上、阪急京都本線が嵩上げ工事を行うにあたり、東海道新幹線の線路を借りて間もない頃の新聞記事2題でした。

*1:当時はまだ京阪神急行であった

北総鉄道(北総開発鉄道)7000形7001号

今年は北総鉄道*1が創業50周年という記念すべき年であることから、様々な企画がなされています。

その一環として西白井駅高砂方に留置されている7000形7001号車が、ライトアップのためにカバーを外して公開されているとのことで、早速見に行ってきました。

写真の撮影は全てホーム上の安全な場所から行いました。

 

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7000形は1979年3月の1期線:北初富~小室間の開業に合わせて6連3本が導入されたもので、セミステンレス車体を持つ界磁チョッパ制御車です。

「ゲンコツ」や「Σカット」、あるいは「ガンダム*2」などと形容される独特の前面デザインが特徴的ですが、前面下方の視界の確保を目的に採用されたものだそうです。

他にも熱線吸収ガラスを用いた固定窓や吊革を廃した車内など、1970年代の電車にしては先進的な点が評価され、翌年の1980年に鉄道友の会よりローレル賞を受賞しています。

一方では京成の顧問も務めた当時の社長:黒岩源雄氏のトップダウンで採用されたからこその奇抜なデザインという点もあったらしく、手入れのしにくい前面をはじめ、車体の構造や後年の京急直通に伴う半ば無理矢理な改造など、必ずしも現場から歓迎されたわけではなかったところもあったらしいです…。

後に増結用の中間車を組み込んだ8連化や、京浜急行の直通基準を満たすために先頭車と中間車で電装品を入れ替えるといった改造を受けて活躍したものの、セミステンレス車体特有の電食に起因する車体骨組の腐食の問題が生じたことで、京成グループ標準車体を持つ7500形へと置き換えられることになりました。置き換えは2006年から2007年にかけて行われ、全車が解体されるものも思いきや、トップナンバーの7001号車のみ保存されることが決まり、ここ西白井駅高砂方で保管されています。

 

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先月にはふるさと納税をした人を対象にした撮影会も開催されたようで、当日は車内の開放なども行われたそうです。

そのときは前面方向幕は劣化していることから「特急 西白井」を掲出していたものの、本日はなぜか「急行 千葉ニュータウン中央」を掲出していました。恐らくは無理矢理回して変えたのでしょうか…。

また営業運転では用いることのなかった*3サボ受けに前サボも掲出された状態での公開ともなりました。これは先月の撮影会でも同様の展示をしていたもので、普段は車庫内で保管しているものを取り付けているとのことだそうです。

 

北総7000形といえば、2004年ごろに公開された映画「電車男」の劇中にて、物語の要所要所に登場しているのを思い浮かべる方もいらっしゃるかと思います。その年は引退する前年ということで、銀幕の中に末期の姿を偲ぶことができます。走行シーンなども収録されているので、この機会に観直してみるのもいいかもしれませんね。

*1:開業時の社名は北総開発鉄道

*2:主に直通先の京浜急行の社員がそう呼んでいたとのことである

*3:回送などでは用いていたらしい

こんにちは2002号・さようなら306号記念乗車券

今回の切符これくしょんは、「こんにちは2002号・さようなら306号記念乗車券」を紹介いたします。

これは江ノ電こと江ノ島電鉄の300形において、301Fや302Fと共に遅くまで非冷房で残った306Fが2000形2002Fへと代替されるのを記念したものになります。

 

 

入れ物は306Fと2002Fがかわいくアレンジされたイラストが描かれています。

 

 

乗車券は3枚組で、うち1枚は小人用です。

券面は306Fと2002Fの写真と入れ物と同じイラストが使われています。

裏面には306Fの車歴や2002Fとの諸元比較、沿線のイラストマップが描かれています。

なおこの306Fは単車として登場したものを200形連結車として改造したものを、さらに300形連節車へと再改造したという「迷」な車歴の持ち主だったりします…。

種車に違う車両同士を選らんで繋げたため、2両で細部が異なっている凸凹編成だったそうで…。

創立60周年記念乗車券

今回の切符これくしょんは「創立60周年記念乗車券」を紹介いたします。

こちらもくりはら田園鉄道が栗原電鉄だった頃のもので、当時の懐かしい電車や機関車が見られます。

 

 

入れ物は若柳車庫で撮られた集合した車両の写真が使われています。朱色とクリーム色のツートンカラーが田舎電車らしくていいですね。

開けると「美しい栗駒への道 栗原電鉄」のキャッチコピーがあり、味があっていいですね。

 

 

乗車券は5枚組で、当時在籍した電車3形式(M15形、M17形+C17形、M18形)と機関車2形式(ED20形、ED35形)がそれぞれのモチーフになっています。

裏面は全て会社の沿革が記されておりますが、よく見ると昭和30年(1955年)に改軌しているとのことで、割と遅くまで軽便鉄道として頑張っていたことが窺えます…。

当時の車両はM15形やED20形が若柳駅跡地にあるくりでんミュージアムにて保存されているので、いつか見に行きたいところです…。

安中のトキ25000形

去年の10月15日は影が薄いながらも日本の産業を支え続けた、東邦亜鉛の安中製錬所と小名浜製錬所を結ぶトキ25000形貨車の運用が終了するという出来事がありました。

これは安中製錬所の焙焼炉の稼働を停止し小名浜製錬所へ統合することによって亜鉛精鉱を輸送する必要がなくなるためで、日本で唯一無蓋貨車を用いた貨物列車もこれで無くなってしまう見込みです。

 

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2018年3月に鉄道文化むらへ遊びに行ったときに撮影したものが出てきました。

このトキ25000形は国鉄が製造したものとは大幅に異なる東邦亜鉛の私有貨車として造られたものでした。

台車やブレーキ装置に廃車になったクム1000形車運車*1のものを再利用したため95km/hでぶっ飛ばせるというスペックを持っていたり、カーダンパーで荷卸しすることから内部が滑落しやすいステンレス張りだったりと、国鉄のものとは異なる独自色が強い仕様になっています。

手ブレーキハンドルの位置がフットブレーキと同じ位置に付いていて、制動手用の手すりやステップが残った設計になっているのが面白いですね。

現在は持ち主である東邦亜鉛が再利用を断念したことから、徐々に解体されてしまったようで、近代的なトキ25000形は過去のものとなってしまったそうです。

 

2023/07/26:追記 今月に入りTwitterにて、トキ25000-1号車が残存しているとの情報がありました。よって除籍されているかは不明ですが、車両自体は1両のみ残存しているのだそうです。

*1:ピギーバック輸送用貨車