長野電鉄3500系N7編成引退記念イベントで撮ったもの

転職に伴う多忙により先月には出す予定だったのが、今更の投稿となってしまいました…(汗)

参加した当日に書いた記事は軽くさわる程度でしたが、こちらでは撮影した写真を時系列に沿って貼っていきたいと思います。

既出のものが多々ありますが、温かい目で見たいただけると幸いですw

 

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N7編成ですが、撮影会開始時の行先は朝陽がセットされていました。

長野~朝陽間の区間運転を行う定期列車の記憶が皆無の走ルンですにとって、この行先は村山橋が大雨の規制で通行止になった際の臨時列車というイメージが強いです。

 

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先の記事でも述べた通り、その後はリクエストに応じて適宜回してくださりました。

またワンマン札もひっくり返してくださったので、さながら現役時代のような感じも出ていました*1

 

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当日は須坂駅3/4番線ホームの立入禁止区域から線路に降りたため、かつては見学できた鉃道部品類を再度間近に見ることができました。

これらは2008年ごろまで見学ができたもので、最後に見たときはアシナガバチの縄張りと化していて、軽く生命の危険を感じてしまいました(汗)

せっかくの貴重な資料なので、もう一度綺麗に整備して公開して欲しいものですね。

 

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こちらはたまたま入線してきた定期列車の8500系T2編成です。

ご存知の通り、この編成には鉄道むすめの朝陽さくらがラッピングされており、長電初の痛電車(笑)として活躍しています。


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最近検査を受けたので、帯や床下機器がとても綺麗ですね。


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長野方先頭車のデハ8512号(旧デハ8602号)の床下機器の空きスペースは、保安装置の筐体を吊っていた場所なのでしょうか。


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3/4番線ホームの北側には、一昨年の創立100周年記念に合わせて設置された河東鉄道1形機関車の石碑が置かれています。

現在も3号機が加悦谷の地で処遇待ちの状態で置かれていますが、果たしてどうなるのでしょうかね…。

 

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こちらは隅の方に留置されて最後の時を待っているL2編成とN3編成とO2編成です。

 

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L2編成の先頭車は元を辿ると地下鉄日比谷線時代にさよならラッピングを施されたものでしたが、長野では一足先にリタイアしてしまいました…。


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セミステンレス車なので、よく見ると隙間に入り込んだ雨水の影響で錆汁が吹き出していました。

これもこの車両の寿命を縮めた一因なのでしょうか。


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模型の参考に前面周りの床下機器も撮ってみました。

やはり台枠が腐食してボロボロになっていますね…。

 

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こちらは乗車したN7編成の車内の様子です。

監獄窓こと小さい窓のドアやクリーム色に変則的な格子模様がうっすらと入ったデコラ、そして茶色いモケットが懐かしいですね。

前の記事でも述べた通り、この車両の妻面窓は一枚窓で、モハ3507号はハメ殺し、モハ3517号は一段下降窓となっています。ただしスイッチがサビの影響か何かで固着しているため、開閉することはできませんでした。

 

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ついでにこちらは信州中野駅での停車中に撮影したN8編成の車内です。

片方の妻面窓が2段窓になっているほか、床面にトラップドアが設置されている点にもご注意ください。

N7編成は入線時に亀甲形のベンチレータを乗せていたことからも、地下鉄時代に更新工事を受けなかったらしく、床面へトラップドアも設置されていないのです。

 

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信州中野駅で3000系と並んだのを見て、今から6年前の年末に同じ場所でL2編成を撮ったことを思い出しました。


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3000系の運転台周りですが、よく見るとアルミテープで点々と補修されているみたいです。

やはりアルミ車のお手入れも結構大変なのでしょうかね。


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3000系同士が並ぶと、クジラの置き換えも終わって新たな歩みを始めようとする長電を感じます。

 

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一応こちらも1両ずつ撮ってみました。

模型の参考になれば幸いです…。

 

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3000系もだいぶ北信濃の地に馴染んできたように思えます。

 

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小布施駅での撮影タイムで撮ったものです。

普段とは異なる編成の電車にお客の登場とあって、観光でいらしていた奥様方も大層驚かれていました。

事情を聞かれたのと折角なのでお話ししたところ、その奥様もコレが元々東横線で走っていたものとご存知でいらしたみたいで、長いこと現役だっただけ人々の心の片隅に引っかかっているのかなと思いました。

小布施駅は遠くに北信五岳が眺められるので、ホームに立っているだけで清々しい気分になれます。

冬には湯田中・木島方(あえてこういう)の跨線橋から安曇野槍ヶ岳などが見える日もあるらしいです。

 

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須坂駅でゆけむりと並ぶのも、これまで当たり前だった光景だけに懐かしいものがあります。

駅構内の通行方が変更されたので、相変わらずこのホームに長野行が停車していると違和感を覚えてしまいますが…()


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朝陽駅に4連のクジラが停車していると小学校低学年~中学年時代の朝の登校を思い出して、これまた懐かしい気分になります。


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普通に停車しているだけでも本当に懐かしいです。

 

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市役所前駅での撮影タイムで色々と撮ったものです。

この駅はあまり利用したことがないのですが、やはり地下に停車しているだけで子供の頃を思い出して懐かしい感じがします。


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こちらは運転台の後ろからフラッシュを焚かずに撮影したものです。

やはり地下区間を走っていると、日比谷線みたいでちょっと都会的な感じがしますね。


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長野駅の階段を降りるといつも停車していたことを思い出しました。

 

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権堂駅の撮影タイムで停車している様子です。

子供の頃に親に連れられて遊びに行ったときは、いつも今は亡きイトーヨーカ堂の地下のポッポでたこ焼きと山盛りポテトを買ってもらっていたのと、お買い物をしてから権堂駅に行っていたのを思い出しました。


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最後にイベントツアーを終えて車庫に帰る様子です。

私事ですが、このたび走ルンですは転職して更なる社畜と化したことで、今までよりもお休みが取りにくくなってしまいました。そのため現状では最後まで残るN8編成のさよならを見届けられるか非常に怪しいため、恐らくこれがこの電車に乗った最後の機会になってしまうのかと思います。

思えば覚えていない昔からずっとそこにいて当たり前の存在だったので、これからは帰ってもそこにいてくれない現実を受け入れていくしかないのが、正直つらいところではあります…。嬉しいときも悲しいときもいつもそばにいてくれたからでしょうか。2000系が完全に引退したときは正直ふーん、という感じだったので、やはりそれだけ身近な存在だったのかなと思います。

 

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これからは模型の世界で、今までの勇姿を思い出しながら楽しんでいきたいですね。

 

今までの活躍に感謝…。

 

関連記事:イベントの参加レポート

mc127-100.hatenablog.com

*1:なお実際の4連運転の際は、現行の法令上車掌が必ず乗務するため決してワンマンで運転することはない。