閉園間際の頃に書いたまま放置していた加悦SL広場の保存車ですが、まだ挙げてなかった客車や貨車を今更ですが投稿したいと思います。
皆様ご存知の通り、加悦SL広場はすでに閉園しているうえ、残存している車両の処遇はごく一部を除き未定となっています。
園内に入ってすぐの場所で2号機関車と共に置かれていたのがハ4995号です。
明治26年鉄道作業局新橋工場製という、正真正銘の鉄道創業時からの生き証人です。
加悦鉄道譲渡後に新たな車体へ載せ替えられたものの、倉庫と化していた旧車体を用いて復元したのだそうです。
車内はこのようにセミコンパートメントとも言うべき感じでした。
その隣にはハブ3号が置かれていました。
明治22年ドイツ製で、現在の伊賀鉄道の前身である(旧)伊賀鉄道で使われたのちに入線しました。
1970年の大阪万博では九州鉄道の開業時に用いられたドイツ・クラウス製の機関車と共に展示されていたみたいです。
転車台の横に置いてあったハ10号です。
こちらも(旧)伊賀鉄道が発注したものの、電化に伴い注文流れとして加悦鉄道にやってきたのだそうです。
登場時は2等と3等の合造車だったので、車体には青帯と赤帯が入っています。
客車はこの他にハ21号とフハ2号が保存されていたのですが、訪問時は展示されていませんでした。
こちらは有蓋緩急車のワブ3号です。
加悦鉄道に在籍した貨車では唯一の生き残りとなっています。
こちらは無蓋車のト404号です。
遠州鉄道がホキ800形を導入した際に廃車したことから保存用として譲り受けたもので、加悦鉄道にいた無蓋車と同形であることから保存されました。
こちらは車掌車のヨ2000形ヨ2047号です。
戦前製の車掌車では唯一の現存車両で、1981年に保存用として当時の国鉄から貸与されたものになります。
南海1201形と並べて店舗として使われていたサハ3104号です。
元は東横モハ100形→東急3100形で、付随車化改造から漏れた仲間の一部は上田電鉄に譲渡されて丸子線で使用されていました。
加悦鉄道では客車として使われていたものの、キハ08形の入線にあたり使用停止となったのち、加悦SL広場の休憩所へ改造されましたが、その後移転と同時にレストランへ再改造されました。
外から見るとこんな感じです。
元の台枠の横に新たな部材を継ぎ足して拡幅しているらしいです。
屋根は原型のままであるように思えました。
保線用のトロッコもこのように展示されていました。
こちらは雪かき車のキ100形キ165号です。
こちらも1981年に保存用として当時の国鉄から貸与されたものになります。
運転台には様々なスイッチやレバーが所狭しと並んでいました。
昭和50年11月に後藤工場で検査を受けた際の表記も残されていました。
園内の至る所には様々な鉄道部品が放置されているのが確認できました。
1枚目は蒸気機関車の主連棒、2枚目はスポーク車輪とプレート車輪、3枚目は輪軸のタイヤ、4枚目は踏切の警報機の支柱、5枚目は隅の方に押しやられていた雑多な部品類です。
キハ101号の横には古風なガソリン計量器がありました。
園内の奥にはD50形を模した投炭練習器がありました。
入口にもスポーク車輪が展示されていました。
加悦駅舎を模した建物はこのような感じでした。
iPhoneのパノラマ写真機能で園内を撮影してみました。
限られたスペースに貴重な車両が多々並べられていて充実していた印象がありました。
以上、加悦SL広場の保存車の紹介ですが、最後に2022年1月現在において処遇が決まった車両について書き起こしたところで終わりにしたいと思います。
・2号機関車+ハ4995号+ハブ3号→加悦鉄道資料館
これ以外の車両の処遇も早く決まると嬉しいですね…。
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