連載企画・善光寺白馬電鉄小史を読む 巻頭写真・まえがき編

どうも、走ルンですでございます。

先日予告した「善光寺白馬電鉄小史を読む」ですが、今回からちまちま進めていきたいと思います。

今回は巻頭の写真やまえがきを紹介していきます。

先ほどインストールしたばかりのGoogle先生謹製のスキャナアプリを用いてスキャンした画像ゆえに、元々不鮮明なオリジナルがさらに不鮮明になっている場合がありますが、その点はご容赦いただけると幸いです。

まずは表紙を。

 

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筆者の沖野幸一氏は、走ルンですとは異なり英語の教養があったらしく、英訳のタイトルも併記されています。表紙に1927~1980とありますので、長電で言えばED5000や600系が落成した年から地下化の前年までの歴史が綴られているということになりますね(笑)

なおこれとは別に巻末には、ほんへの概要を英訳したものも記載されており、一つの研究論文としても通用するレベルなのではないかと思いました。

 

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続いてこちらは本社の写真です。

現在もこの長野駅からほど近い、南長野駅が所在した中御所に存在するようで、敷地内に転轍機が保管されていることも有名ですね。

 

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続いて会社概要です。

善光寺白馬電鉄と、そのグループ会社の長野運送が紹介されています。

他にも上田運送やリース業などを営むリンギョーがありますが、それらについては触れられておりません。

右ページの北長野営業所は、JR貨物の北長野貨物駅付近に立地しており、あの辺りの貨物倉庫は大体長野運送のものになります。

恐らく沖野氏が描いたと思われるトラックの運転手のイラストがいい味を出していますね。

 

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写真は左上から「現車整備工場(原文ママ)」、「北長野駅の貨物積卸ホーム」、「一般区域用配送自動車」。「通運及び一般区域用貨物自動車」です。

整備工場は南長野とあることから、善光寺白馬電鉄の本社内にあるものと思います。庫内にはいすゞエルフの2代目後期または3代目前期形と思われる車両がいるのがわかります。

北長野駅の貨物ホームは現在は使われていないもので、当時は有蓋車で運ばれてきた貨物を積み替えるために使われていたそうです。走ルンですは2000年代半ばまで、何故かこのホームにヨ8000やワム80000が留置されていたのを覚えております。

一般区域用配送自動車と書かれているのは、当時使われていたいすゞエルフと思しき車両で、不鮮明ですがグリルの形からこれも2代目後期か3代目前期のどちらかかと思います。

通運及び一般区域用貨物自動車と書かれているのは、日野レンジャーの2代目と思しき車両です。


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写真は左上から「デンカ・セメント専用側線(原文ママ)」、「給油所」、「北長野の倉庫(一般・商品・特別の各品目を扱う」です。

デンカセメントの専用線は2000年代半ばまで使われていたもので、末期は青梅川発の臨時貨物ということで、篠ノ井派出のEF64が4両ほどのタキを引き連れて信越山線を走っていたものになります。

給油所や倉庫もやはりJR貨物の北長野貨物駅の近くに所在するものです。

 

最後に前書きの本文です。

以下、全て原文ママの引用です。

 

まえがき

 

善光寺白馬電鉄は昭和4年11月10日に創業して以来、昭和55年で創立51周年を迎える訳ですが、その間には戦時下の企業整備や運送業の開設に寄って現在の盛業を見るに至っています。

鉄道関係の本やNHKのテレビ放送で会社のことは見聞していましたが、私が会社に興味を持ったきっかけは今年の3月(1文字判読不能)白馬の地元の年配者から昭和の初めに長野から山を越えて測量に来たことを耳にしたからです。

それから2度程会社を訪問すると共に自ら各方面を調査(1文字判読不能)資料の収集を進めて行った。

会社史は交易と産業、購買力と投資水準と云う交通史に触れなくては、適切な理解を得ることが出来ない。

こは結果だけでなく、そこに至る因果関係のプロセスがあるためで、善白の研究にあたっては鉄道業の窮状に追い込まれた主要問題である戦時下の交通事業にはいかなる範囲の自由が許され、運営単位の程度、民間及び公的所有の限界を歴史的背景に対置して、始めて十分に理解出来ると思う。

本書では従来の定期刊行物に見る、やや狭い叙述的技法から脱し、会社の変化に於ける原因と結果について、より広汎でより探究的、分析的な見解を取り、多様な交通形態について、それぞれを孤立的に研究するよりも、それらを相互関係の視点から考察する事に関心を向け、交通変化に於ける社会の変化と社会的効果の意義は深く、現代的な現象を歴史的因果関係で考察しようと試みた。

善光寺白馬電鉄は、鉄道業を本業としてスタートしたものの、その営業期間は戦前から戦中までの短期間に過ぎず、長野県内の人からも幻の善白鉄道として過去の記憶の中に生きているに過ぎない。

戦後の事業復興からは鉄道業以外の運輸業を積極的に子会社の長野運送に寄って開発し、発展しつつ今日に至っている。

したがって社名の電鉄自体その本質とは事業内容を異してするが、必ずしも鉄道史ではなく運送業を含めた会社史として発展の経緯に興味を抱く人々の歴史的関心の契機として後世に保存伝達させるべく目的で文書化を計った。

ささやかな本書ではあるが、これら最近の研究成果に言及する様に努めては見たものの、内容的には不十分な点が多く鉄道時代が中心となった為、特に戦後の運送業が大変に不完全ですが多少なりとも理解いただければ編集した私自身、幸いの事と思う次第であります。

 

昭和55年7月13日

 

引用:善光寺白馬電鉄小史 沖野幸一(1980)

 

以上の文章が2ページにわたって記載されているわけですが、筆者の善光寺白馬電鉄への興味・関心や研究に対する熱い思いを感じさせる素晴らしい前書きであると思います。

本文前半にあるNHKの番組が何を指しているのかは、当時の番組の現存状況*1からしても不明としか言いようがありません…ご存知の方がいらしたら、コメントにてご教示いただけると幸いです。

また当時白馬に住む年配者から聞き取りを行なっていたことは、現在でいうところのあかつき3号氏がニコニコ動画に投稿している「迷列車で行こう 九州編」の鞍手軌道を取り上げた回のようなものを感じます。ここまで真摯な姿勢で研究を行なっていたとは、本当にすごいと思います…。

筆者が本文で述べいる通り、これまでに発刊された善光寺白馬電鉄に記載された書籍は「善光寺白馬電鉄は戦時下に廃止になった悲しい運命を辿った鉄道です」的な内容で終わりにしているものがほとんどで、戦後に運送業者としてどのように発展しているかという点にも着目していることは、本当に素晴らしいです。だからこそ、このような読み応えのある77ページになっているのかなと思います…。

 

次回は第1章を紹介したいと思います。

 

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*1:執筆当時はテレビ番組の映像を保存する概念が希薄だった時代であったため、この善光寺白馬電鉄を取り上げた番組も現存していない可能性がある