長野電鉄3500系の運用離脱を考察する

昨日は長野電鉄の公式Twitterより、次のようなお知らせがありました。

 

 

突然の発表に驚かれた方も多いでしょう。かつての長電の主力車両・3500系がこの夏は冷房能力の不足から一時的に運用離脱をするのです。確かにこの電車は2001年から冷房化されたため一応は涼しくなったものの、それでも車内は多少蒸し暑かったことを、筆者は今も覚えています。

これに関して「古い車両だから冷房が弱い」との声がちらほら出ていますが、この電車の冷房化の手法を見ると、そうとは言えないところがあるのです。それを紐解くために、まずはこの車両の登場経緯から見ていきましょう。

 

 

1:どうして長野にやってきたの?

 

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1990年代初頭の長電は、電車に関して様々な問題を抱えていました。当時の主力車両は「アオガエル」こと東急旧5000系を譲受した2500/2600系*1でした。この電車は1954年から製造された軽量車体を持つ直角カルダン駆動車で、長電は1977年から長野線の地下化に伴う旧型車の代替車両として、29両を譲受しました。入線に当たっては、当時の鉄道車両における不燃化基準の一つであるA基準に適合するようにしたほか、耐寒耐雪化や勾配区間へ入線するための改造も施され、少しでも長い間使えるようにするための改造が多々施されました。

しかし時が経つにつれて、軽量車体の劣化や直角カルダン駆動の保守の困難さなどといったデメリットが目立つようになり、特に後者はWNドライブが主流の長電にとっては研修を受けたとはいえ、次第に持て余すようになっていったのではないかと考えます。また種車が東急時代にバラバラに更新工事を受けていたことから、1両ごとに細部が異なる編成も多数在籍しており、そのような点においても保守の困難が付き纏っていたことが考えられます。

その他の車両に目を向けても、当時最新鋭の10系OSカーや、冷房化と車体更新工事を受けた特急車・2000系以外は問題のある車両ばかりでした。河東線屋代~須坂間をタンコロとして活躍した1500系は旧式の吊り掛け駆動に起因する保守の困難やそもそもの老朽化、1967年にローレル賞を受賞した0系OSカーも、コスト削減と軽量化のために発電制動を省略したことによる制輪子の摩耗や、登場から25年近くが経つことによる老朽化*2などの問題がありました。

以上のような車両の問題のほかにも、当時はオリンピックに向けた電車の増発や、利用者が減少した区間の合理化など、解決すべき問題が山積みになっていました。これらの問題を一気に解消すべく、長電は新たな中古電車を探したところ、営団地下鉄こと帝都高速度交通営団が2号日比谷線で使用していた「マッコウクジラ」こと3000系に行き当たり、これを順次導入することにしました。

3000系は1961年から製造されたセミステンレス車体を持つ18m車で、最短2両編成で走れること、長電が取扱いに慣れた三菱電機製WNドライブを採用していたこと、03系への置き換えで大量に廃車が発生していたことなど、長電にとってのメリットが多数ありました。そこでこの機を逃すなと言わんばかりに、少しでも長く使いたいことから比較的新しめの車両を37両選び出して一挙に導入し、簡単な改造を施工したうえで、順次営業運転へ投入すると同時に、不都合な車両の置き換えと電車の増発および合理化を進めることにしました。これが3500/3600系です。

 

2:どんな電車なの?

 

営団3000系改め長電3500/3600系は、地下鉄出身のセミステンレス車でありながら、まさに長電にピッタリな電車なのです。

3500/3600系が18m車体を持つことは先述の通りですが、これは在来の2000系とほぼ同様の大きさであり、それ以前に導入された旧型車*3や1100系、東急から来た2500/2600系*4もほぼ同じであることから、長電にとっては手ごろな大きさであったことが考えられます。また三菱電機製WNドライブと、それを動かす75Kw主電動機に関しても2000系と同様の組み合わせであり、前者に関しては0系や10系といったOSカーも採用していたことから、こちらも長電にとっては扱いに手慣れた走り装置だったことが考えられます。また最短2両編成から組成できることもあることから、本当にいい買い物をしたと筆者は思います。

長電では耐寒耐雪化改造や一部を除いた急勾配への対応などといった、本当に必要最小限の改造を施した*5うえで、用途に応じて次のように分けました。

N編成…2両編成を組成するツーマン車。湯田中・木島方からCM1 3500+CM2 3510

O編成…2両編成を組成するワンマン車*6湯田中・木島方からCM1 3520+ CM2 3530

L編成…3両編成を組成するツーマン車。湯田中・木島方からCT1 3650+MC1 3600+CM2 3610

このうちN編成とL編成の全てとO編成のO1編成とO2編成は地下区間と勾配区間に入線が可能な仕様であるのに対し、O編成のO3~O6編成はワンマン線区専用車であるため、地下区間や勾配区間には入線することができません。なおいち早く竣工したのはN5編成で、続いて1993年11月に予定されていた河東線のワンマン化に間に合わせるため、O編成が急ピッチで揃えられていきました。

種車は全て少しでも長期間の使用ができるようということからか、比較的後期に造られた新しめの車両から選ばれており、3600系の中間に組成されるMC1車は中間車の中でも一番新しいモハ3500形の奇数車です。Wikipediaの記述では、さも部品取りになった車両が導入されたかのようになっていますが、これは誤りで本来は部品取り車は譲受予定になく、必要数である37両のみ導入の予定でした。しかしO4編成が1993年の9月に河東線内で踏切事故にて遭難し、CM1車が大破したことから急きょN1編成として竣工する予定だったクモハ3077を2代目モハ3524として整備しました*7。この影響で地下鉄博物館にて保存予定のあったクモハ3001と、その相方クモハ3002が譲渡され、結果として39両が譲渡されるとともに、相方を失ったクモハ3078と事故車の初代モハ3524が部品取りと化したことになります。

 

3:どうやって冷房化したの?

 

長電3500/3600系の冷房化は2001年からN編成とL編成を対象に施工されています。

使用された冷房装置は京成の発生品と言われるCU15C形またはCU15CA形で、冷房能力は1基当たり10500kcal/hだそうです。補助電源には営団5000系の発生品と言われる三菱電機製のSIVが使われており、これらは日本電装の須坂工場への出張工事によって取り付けられています。ちなみにこの冷房装置の能力の値は、特急車・2000系に用いられたCU113形に近いもので、そちらの場合は1基当たり15500kcal/hだそうです。察するに2000系とほぼ同等のものを中古で拾って取り付けた、といった感じになるのかと思います。

閑話休題。ここで3500/3600系が非冷房車であった頃の屋根の構造を、簡単な落書きで示してみます。

 

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分かりにくく汚い落書きで恐縮です。

ベンチレータより取り入れられた外気は風洞を通り、車内に設置されたファンデリアで拡散されるという、当時の営団が取り入れていた方式です。こうすることで車内へ新鮮な外気が万遍なく行き渡り、快適な地下鉄になると当時の人は考えたのでしょう。結局は地下鉄ではトンネル内の熱い空気を拡散するだけで、車内が蒸し暑いままだったのは周知の通りです。

続いて冷房化後の屋根の構造を、簡単な落書きで示してみます。

 

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屋根には穴が開けられ、車体の骨格も補強されたところに冷房装置が搭載され、車内へ冷気を送ります。しかしそれを拡散するための扇風機や風洞+ラインデリアといったものがなく、ただ単に冷気を車内へ送っているだけなので、全体に冷気が行き渡らないのです。またベンチレータが撤去されたことから、非冷房時代の風洞は生かされていないため、ファンデリアはただ羽が回っているだけで、車内の冷気を全く拡散していません。先に冷房化された2000系の場合、特急車ということもあって冷房化と同時に新たな風洞やラインデリアの設置が施工されたため、車内全体が涼しく快適になるよう工夫されたのに対し、こちらは冷房装置をただ乗せただけなので、全く涼しくありません。

加えて2000系と同等の総出力にするためか、こちらも1両当たり2基を搭載しているため、ドアを開閉する機会が多い各停用ということも手伝って、車内は全く冷えません。さらに先頭車の場合、改造に伴って用いる図面をCM1車とCM2車で同じものを用いたらしく、パンタを撤去したCM2車も車体の中央寄りに冷房が設置されており、車端部が冷えないといった問題も抱えています。

なお長電に在籍していた車両のうち、車内の冷気を拡散できる扇風機を搭載していたものは、製造時期から降り掛け冷房*8に対応した構造を持つ、N1編成になるはずだったクモハ3077-クモハ3078とL編成の中間車になった3500形奇数車の5両のみです。このうち冷房が使える区間で運用しているものはL編成の中間車のみで、冷房車が必要である区間へちょうどいい車両が配属されなかったという、ちょっと困った事象が発生しています。もしもO4編成が踏切事故で遭難しなければ状況は変わっていたのでしょうけれど…。

 

4:結局どうして運用離脱したの?

 

長電3500/3600系が運用離脱したその理由とは、屋根の構造を無視して単純に冷房を乗せただけであることであることに他なりません。そのため決して古い車両だから冷房が効かない…というわけではないのです。

ファンデリアを搭載した3500/3600系も、冷房化に伴って2000系同様に風洞とラインデリアを設置したり、扇風機を設置していれば状況は変化したことでしょうけれど、簡易的な冷房化改造であったため、今回取り上げたような問題が生じているということなのでしょう。

そんな3500/3600系ですが、涼しくなる秋には元通り運用に入っていることが予想できるので、そのときに改めて訪れてみたいですね。文章を書くのが壊滅的にへたくそですが、ここまでお読みいただき、ありがとうございました。

 

参考文献

鉄道ピクトリアル各号

鉄道ジャーナル各号

*1:2連が2500系C編成、3連が2600系T編成

*2:JRや大手私鉄であれば、余程の理由がない限りだいたい更新工事を施工するような車齢である

*3:正確には17m

*4:正確には18.5m

*5:須坂工場へ搬入されてからの改造であるため、長電自身が自社で改造したものと勘違いしがちであるが、実際は日本電装が出張工事で改造を施工したとのことである

*6:O1編成とO2編成はツーマン兼用車

*7:先述の河東線ワンマン化に間に合わせるための措置であった模様。結局11月中のワンマン化は間に合わなかったため、延期されている。

*8:個別の小型冷房装置の下に設置した扇風機で冷気を拡散する方法の冷房機構で、当時の交通営団が採用を検討していたものである。