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その後の都営三田線

お久しぶりです。仕事が多忙だったのと鬱がひどくなってしまったのとで、ひと月ほど放置してしまいました…。今回は結構前に投稿した京王3000系の編成毎の動向についてまとめたものの続きです。ネタにするのは先代の三田線車両だった都営6000形です。

都営6000形は1968年の三田線開業と同時に登場した車両で、翌年には鉄道友の会よりローレル賞を受賞しています。廃車は1990年から始まったものの、一度は更新して継続使用が見込まれたため廃車が撤回されました。しかし検討の結果として結局は6300形で置き換えた方が割安ということで、1999年から廃車が再開されています。それでも廃車になった地点で登場からまだ20数年しか経っていないため、一部は他の鉄道事業者へ譲渡されることになりました。

…ということを踏まえ、廃車後の都営6000形はどの編成のどの車両がどこへ譲渡されたのか、次のようにまとめてみました。

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表はクリックで拡大できます。

6000形は最後まで残っていたものの殆どがインドネシアへ譲渡されたため、編成ごと譲渡されたものが8本、中間車のみ譲渡されたものが7本存在します。そのうち19Fと24~26Fは先頭車と一部の中間車が秩父へ譲渡されているので、インドネシアには中間車1ユニットと半端な3両が譲渡されたことになります。現地では最初のうちはある程度整った編成で使われていたものの、末期は1ユニットあるいは1両ごとバラバラに組み替えられていたため、かなりゴチャゴチャした編成になっていましたね…。

熊電には非冷房車の10Fと11Fのほか、冷改車の21F~23Fが譲渡されています。当初は都営5000形の譲渡を希望していたらしいのですが、車体は大きくても新しい6000形に変更したものと思います。現地では百の位と十の位で編成番号を表す都営方式ではなく、熊電オリジナルの称号で呼ばれており、冷改車を6200形として非冷房車と区別しています。なお非冷房車は入線にあたって西鉄産業(現、西鉄テクノサービス)にて冷房化がなされた上で搬入されています。また直流1500Vから600Vへ降圧するに当たり回路等はそのままにしているらしく、地下鉄特有の加速の良さは発揮できずにいます。

秩父には冷改車の19Fと24~26Fのほか、部品取りとして志村検車区内で入換車として使われていた14Fの先頭車が譲渡されています。このうち26Fは事故廃車となり、その後部品取りになっています。

以上の他は、消防学校に05Fの6051、佐倉草ぶえの丘に14Fの中間車が置いてあります。

こうざっくり見ると、殆どインドネシアへ譲渡されたとはいえ、ほとんどの車両が第2の職場を得ている当たり、京王3000系に似たものがありますね…。