長野電鉄2500系/3500系の旧車番について

ある鉄道事業者から他社へ譲渡された鉄道車両は、JR同士ではない限り大抵の場合は形式並びに車番が変更されたうえで移籍しています。そのため、移籍元ではどのような番号を名乗っていたのか調査するのは、我々鉄道趣味者にとって面白い研究です。

私の育ちの地である北信州を走る長野電鉄に移籍した大手私鉄やJRの車両も、殆どが新たな番号を名乗って活躍をしていますが、そのなかでも元東急5000系「アオガエル」を譲り受けた2500系と、元営団3000系「マッコウクジラ」は、実に興味深い車番の変遷をしています。

はじめに2500系の長電車番と東急車番の対照表を以下に示します。

 

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左から編成番号→長電車番→東急車番と並んでいますが、一目見て東急時代の車番が2通りあるのに???と思われた方や、東急車番と長電車番が噛み合っていないものにお気付きの方が結構いらっしゃるのではないでしょうか。

実は一番右の東急車番は、2500系の仮編成が入線した当時の計画のものなのです。

2500系は1977年1月に東急からの貸し出し扱いで、クハ2551+モハ2611が入線したのをきっかけに1985年までに2連10本と3連3本が入線しているのですが、当初の計画では2連7本と3連4本を導入し、不足分はOSカーの新製で補うことを想定していたのです。その後の計画の変更の影響で、3連を組むはずだった先頭車が2連を組んだり、新たに3連様に別の車両が追加されたりといった変化が見られます。

なお鉄道ジャーナル1977年5月号によると、クハ2550のうちデハ5000の電装を解除した車両は、クハ5150に改番されたうえで改造を受けているらしく、書類上でそのような扱いになっているものと思われます。

 

続いて3500系の長電車番と営団車番の対照表を以下に示します。

 

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左から長電編成番号→長電車番→営団車番→営団編成番号の順に並んでいます。

3500系において特筆すべきことは、O4編成の事故とクモハ3001-クモハ3002の入線でしょう。

営団車番でお気付きの方にはご理解いただけるかと思いますが、長野電鉄は出来るだけ長いこと使えるようにと比較的製造年次の新しい車両を譲り受けており、その中にはラストナンバーのクモハ3077-クモハ3078も含まれておりました。当時の長野電鉄は支線区の合理化及び近代化を推し進めたい関係で、最初にN5編成が落成した後はしばらくO編成を立て続けに落成しています。しかし肝心のO4編成のモハ3524が事故で破損してしまい、復旧が困難なほど大破してしまいました。

そこでN1編成として落成する予定であったクモハ3077-3078のうち、クモハ3077を2代目モハ3524として整備し、その穴埋めとして営団からクモハ3001-クモハ3002を譲り受けたといった経緯が、鉄道ピクトリアル1998年4月臨時増刊号や、鉄道ファン2008年7月号の記事などから考えられます。その証拠として、須坂工場内に放置されていたクモハ3078が、明らかに改造半ばで放置されたような状態であることが、様々な写真で記録されています。

このように車番の変遷一つを取っただけで、こんなに面白い変化があったことが窺えます。しかしまぁ長野電鉄2500系や3500系は、意外と資料が豊富そうな割に乏しいので、今後も可能な範囲で研究していきたいと思います…。