長野電鉄の記念乗車券3題

今回は、昨日Twitterに挙げたら反響のあった記念乗車券について紹介したいと思います。

1960年代後半から1970年代前半にかけての長野電鉄は、OSカーの投入にはじまり駅舎の改良や沿線の充実化など、様々な近代化に力を入れておりました。今回紹介する記念乗車券は、それらの時代においてどのような取り組みをしてきたかが窺える、貴重な史料であると思います。

 

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まず紹介するのは、1969年(昭和44年)発行の「本郷駅改築・本郷ステーションデパート開業記念乗車券」です。

本郷駅はもともと他の駅同様の地平駅舎を持つ駅だったのですが、この年に長野県内の私鉄で初めて橋上駅に改築を行い、それと同時に今でいう駅ナカとして本郷ステーションデパートを開業しています。乗車券は5枚セットで、表面は券面の区間が異なるだけでイラストは全て同一のものが描かれています。裏面には当時入居していたテナント一覧が書かれており、狭い駅舎内に多数のテナントがひしめいていたことが窺えます。

ここに書かれた店舗ですが、現在は本郷駅以外の場所で営業していたり業務を拡大したりして顕在しているところが多いのが特徴です。中でも有名なのは魚力スーパーとヒナタ電気でしょうか…。前者は現在のSSV(西友)として長野県下の至る所に店舗を構えていますし、後者は後にLAOXの長野県内におけるフランチャイズ提携先(?)として撤退するまで営業していたので、結構多くの人に知れ渡っていたのかなぁと思います。

 

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写真は全てのテナントが撤退する2~3年前に撮影したもので、この当時は中古CD・レコード店英会話教室音楽教室、花屋が入居しており、その数年後に英会話教室音楽教室が抜けたところへ喫茶店が入居し、最後の最後に残っていたのは中古CD・レコード店と花屋、喫茶店だったかと思います。

駅に入線する東急レッド帯だった頃の8500系も懐かしいですね。

 

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続いて紹介するのは、1972年(昭和47年)発行の「ながでんボウル須坂開業記念乗車券」です。

この当時はボウリングがブームだったそうで、地方私鉄でもミーハーな方に入る(?)長野電鉄も、この機を逃すまいと須坂駅のイオンがあった位置に当時の最新設備を取り入れたボウリング場を建てたのだそうです。

しかしお世辞にも交通の便が良いとは言い難く、複雑に入り組んだ須坂市街地を縫って走らないと到達できない場所に開業したボウリング場故に、開業からわずか3年後の1975年には閉鎖されてしまったとのことです…。恐らく話題になったのも、出来てすぐのころだけだったのではないでしょうか…。

なお本乗車券の券面には、先述の本郷駅のもの同様に0系OSカーのイラストが描かれており、当時の長電の近代化の象徴であったことが窺えますね。

 

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最後に紹介するのは、1972年(昭和47年)発行の「野沢温泉/志賀高原スキーびらき記念特急券」です。

この特急券は変則的な4枚セットで、2枚はそれぞれ独立していますが、もう2枚は背中合わせにくっついています。

独立している2枚には、それぞれ野沢温泉志賀高原のスキー場のアピールがなされています。そのため券面には野沢温泉名物はとぐるまと奥志賀高原スキー場がデザインされています。志賀高原長野電鉄が手掛けただけに、スキーリフトの増設やレストハウスの開設など、とても力が入っています。野沢温泉にも直営ホテルがあるので、その周辺のスキー場には力をいれていたことが窺えます。

中合わせにくっついている2枚には、排雪列車と国鉄からの直通急行の紹介がなされています。このうち排雪列車の紹介には、電気機関車を「オカマ」と呼ぶ旨が書かれており、電気機関車を「カマ」と呼ぶスラングは一部の鉄道会社にもあったことがわかります。

 

手元にはまだまだ長野電鉄が元気だったころの記念乗車券などが多数あるので、またの機会に紹介したいと思います。