長野電鉄直通急行のしおり

このブログをご覧になっている皆様の中にも、自宅にちょっとした鉄道グッズが色々ところがっているという方がほとんどかと思います。やはり私も手元に色々なものが転がっているので、汚部屋の整理中に出てきた品々を少しずつ紹介していこうかと思います。

まずは記念切符や使用済乗車券などが入った箱から出てきた、こちらを紹介します。

 

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長野電鉄には、かつて屋代から須坂を経由して湯田中までの国鉄からの直通急行があったことは有名な話ですが、これはその当時に配られたと思しき時刻表の記載されたしおりです。

上は1962年(昭和37年)にキハ57を用いた気動車急行が運転開始した当時、下は翌年の1963年(昭和38年)に165系を用いた電車急行が運転開始した当時のものです。1年ちょっとで気動車が電車に変わっているので、碓氷峠の粘着化と信越本線の電化が急ピッチで行われていたことを感じさせますね…。

券面の色はそれぞれの車両の色をモチーフにしているのも粋な感じがしますね。

なお、かつては長野駅も地上にあった頃に貨車が直通していた関係で国鉄とレールがつながっていたため、長野線経由で国鉄から直通する列車もあったのだそうです。「長野電鉄の75年」という本には、中央西線を経由し長野駅から乗り入れて村山橋を渡るキハ58の試運転列車の写真が載っています。

 

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裏面には時刻表と料金の案内が載っています。

券面には直通急行と書かれていますが、長野電鉄の社線内では特急扱いだったそうです。しかし特急扱いとはいえ、当時の花形2000系ロマンスカーよりアコモが劣る急行形に乗るも乗車券以外の料金が必要…というのには、現代でいうとこの遜色特急に似たものを感じますね。

なお気動車急行の方は碓氷峠の旧線経由なので、その他の停車駅の中に熊ノ平駅が書かれています。

また、この当時は長野電鉄の特急も小布施駅には停車していなかったため、直通急行も小布施駅には停車しないダイヤになっているのに時代を感じます…。