上田バスF-981号車がデビューした頃

画像フォルダより、2016年3月ごろに上田バス初のノンステップ車とした遠鉄バスからやってきたF-981号車の登場時のものが出てきたので、この度お目にかけたいと思います。

 

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上田駅に降り立つとUD+富士重7EのN-973号車がいました。

元東急バスT1601号車です。

 

その後、当時はまだ駅の近くにあった上田バスの営業所に行き、事務所で許可を得てから写真を撮らせていただきました。


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レインボーHRのH-013号車です。

元東急バスS226号車で、自由ヶ丘東急コーチの専用車でした。


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上の方が切れていますが、UD+富士重7EのN-963号車です。

元東急バスKA1517号車です。
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検車庫付近にはレインボーHRのH-012号車とエアロミディのF-972号車がいました。

いずれも東急コーチで使用されていたもので、元社番はH-012号車とF-972号車です。


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こちらは自社発注のエアロミディで、F-011号車です。


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奥の方に元東急の中型車・レインボーHRのH-015号車とUD+富士重8EのN-845号車がいました。

また元川崎鶴見臨港バスいすゞ+富士重7EのI-938号車もいました。


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駅前に戻ると千曲バスエルガミオ・1060号車がいました。


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しばらく待っていると、向こうから平べったく赤いバスがやってきました。

この日のお目当てであったニューエアロスターのF-981号車です。


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上田バス初のニューエアロスターということもあって、とても新鮮だったのを思い出します。


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前面を見ると遠鉄バス時代の行燈は撤去されたうえ、ライトベゼルは車体色に塗られています。

のちに黒色へ戻され六文銭マークが貼り付けられたため、少し印象が変わっています。


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F-981号車はしばらく客扱いしたのち、どこかへ走り去ってしまいました。

上田バスにも新しい時代が来たことを思わせる瞬間でした。


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その後、当時の新車であるエルガのI-141号車が来ました。

この当時の上田バスは年に1両のペースで新車を投入しており、2016年には長野県下で初めて営業用の新エアロスターを登場させています。

キハ58形気動車キハ58 624号車

画像フォルダに撮影したまま死蔵させていたのを発見したので、改めて公開したいと思います。

一昨年の秋に友人と長野へドライブしたときの帰りに立ち寄った、横川S.A.上り線に置いてあるキハ58形気動車キハ58 624号車の前頭部です。

 

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ここには峠の釜飯で有名なおぎのやが入っており、そのイートインスペースとして保存(?)されています。

ぱっと見車体の前部が切られて置かれているように見えますが、乗務員室より後ろはモックアップで、前頭部のみ本物です。

この車両は1965年に新潟鐵工所*1で製造されたもので、当初は盛岡機関区に配置されたのが、数年後に九州へと飛ばされたらしく、直方気動車区や大分運転所などに配置され、2008年に廃車になったのだそうです。

一応キハ57形として保存されているため、サボは長野電鉄に直通していた急行丸池号のものになっています。


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運転台はガラス越しに見学できるようになっているのが嬉しいですね。

訪問時は再塗装されたらしく気動車急行色が美しい状態だったのですが、以前は塗装の剥げたところから九州時代の塗装が見えている箇所がいくつかあったのを思い出します。

鶴見線乗車記

本日はお休みだったので、この機にと思い立って鶴見線を乗りに行くことにしました。

今回は完乗が目的なので、大川支線の列車が走る夕方を狙って行くことにしました。

まずは鶴見駅まで移動してから、この駅まで歩いて行ってみました。

 

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コレをご覧になるような方ならお分かりですかね…(笑)

都会のエアポケットこと国道駅です。

乗りたい電車までえらく時間があったので、歩いて訪問することにしました。

 

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1国側の入口横には、先の大戦における米軍の機銃掃射を受けた跡が残ります。

 

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中はこんな感じです。

聞いたところによれば、かつての鶴見臨港鐡道時代より商店街があったらしく、その痕跡がところどころに見受けられました。今でいうところの駅ナカでしょうか。戦前からそのような取り組みをしていたのは、他に地下鉄銀座線の前身の一つである東京地下鐡道くらいなので、割と先進的な感じがしますね。

4枚目は有名な居酒屋「国道下」です。

現在は営業を休止してしまっているそうで…。ここの焼き鳥やおでんは大層おいしかったのだそうですね。


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改札口には出札所跡と思しきものがありました。

現在は無人駅でも、かつては人がいたんですねぇ…。京成の博物館動物園駅に近いものを感じます。


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階段を昇ると謎の連絡通路が現れます。

どうやら開業時は扇町方面と鶴見方面とで改札が別だったらしく、居酒屋の隣の壁に鶴見方面の改札があったのだそうです。それがいつからかひとつの改札にまとめられ、現在に至っているみたいです。

鶴見方ホームを降りたところをよく見ると、何かを塞いだような感じがしました。


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連絡通路から見下ろすとこんな感じです。

 

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そしてこちらがホームです。

やってきたのは205系1100番代ナハT13編成です。

これももうじきE131系あたりの新車へと、置き換えられてしまうのでしょうかね。

 

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そして鶴見駅から折り返してきたナハT13編成が武蔵白石行きだったので、とりあえずそこまで行きました。


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とりあえずなんちゃって形式写真を撮ってみました。

改造車ながら、コンパクトにまとまった感じがいいですね。

なおこの車両は中間に挟まるモハ205形のみ0番代のままで、両端の先頭車のみ1100番代を名乗ります。またクハの種車はハエ区のサハであるのに対し、クモハとモハの種車はヤテ区のモハユニットが種車であることから、ドア窓の大きさが異なるというケヨ区のケヨM編成を彷彿とさせる仕様になっています。


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背後にそびえ立つ鶴見臨港鐡道からのものと思われる、送電線の鉄塔を兼ねた背の高い架線柱がいいですね。


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車体のあちこちには改造前の面影がありました…。

 

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…と、ここで急に雨が降り出して天候が崩れ出しました…orz

ひとまず扇町行きのナハT14編成が来たので乗って終点を目指します。

ちなみにこの編成はトミーテック鉄道コレクションで模型化されたものなのだそうです。


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扇町駅で精算しようとしたら、改札にヌッコがいるのを発見しました。

かわいいのでつい見入ってしまい、危うく乗り遅れるところでした(笑)


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構内にはJR貨物の詰所もあり、トワイライトゾーンな感じを醸しています。


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続いてここから安善へと戻り、海芝浦駅を目指します。

 

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安全駅に着く頃には大雨になっていました…orz

海芝浦まではナハT11編成に乗っていきました。


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そして海芝浦駅です。

海沿いの駅なので雨がめちゃんこ強く、ホームに水溜りが出来ていたのに気付かず、靴もぬれてしまい余計に萎えましたorz

構内には海芝公園もありますが、この天気なので行かずに精算したらそのまま急いで電車に戻りました()

なお同じ電に乗車していた親子連れが折り返し乗車を画策していたらしく、車掌が放送で注意喚起していたのが印象的でした。不正乗車ダメゼッタイ!(迫真)

 

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その後、雨宿りがてら鶴見駅に戻り、そこであらためて精算してから大川行きに乗りました。

本日2回目のナハT14編成です。


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鶴見駅を出てすぐのところに残る本山駅跡地です。

東海道本線を越える橋梁の手前に存在し、線路が不自然な感じに広がっているところに駅の名残を感じます。

 

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続いてこちらは武蔵白石駅の大川支線ホーム跡地です。

首都圏最後の営業用に用いられる旧型国電として有名だった、クモハ12形50番代の置き換えに当たり、103系が入線する際の支障となることから撤去されたもので、当時の名残を感じられるものは残っておりません。

鉄道における建築限界って割とシビアなんだなぁと改めて感じました。


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そしてこちらが大川駅の構内です。

着く頃には雨が上がっていました。

かつてはここから専用線が多々分岐していたものの、現在は使用されていないことから草ボーボーのだだっ広い構内が広がるという空間と化しています。

 

鶴見線は短いながらも見所がたくさんの路線なので、次に訪問する際は色々とゆっくり見て回りたいものです。

TOMIX しなの鉄道115系

長野県唯一の第三セクター鉄道しなの鉄道は開業から現在に至るまで、国鉄が勾配路線向けの近郊型電車として製造した、115系が主力として活躍しています。

115系は1997年のしなの鉄道開業に合わせてJR東日本長野支社・松本運転所*1(以下、モト区)から11本が転入したのを皮切りに、2013年のダイヤ改正に合わせてJR東日本長野総合車両センター(以下、ナノ区)から転入した2連7本と、2015年の北しなの線開業に合わせてナノ区より転入した3連5本の3グループが存在します。これらは全て1000番代で組成されており、国鉄時代に施行された先頭車化改造や、民営化後及び譲渡後に施行されたリニューアル、そして塗装によってさまざまなバリエーションが存在し、我々おたくの好奇心を引き起こします。

近年は新車・SR1系への置き換えが進みつつあることから、年々数を減らしていますが、それでもまだある程度の勢力を保ちながら北信・東信地方の足として活躍しています。

 

この車両はTOMIXとKATOよりNゲージ鉄道模型として製品化されておりますが、走ルンですはこのうち前者が好きで現在は5編成を所有しています。

KATO製品はダークグレーの塗装がインクジェット印刷で再現されており、走行性能は良くても近くで見た際の見た目が好きではないこと、赤色の色調が朱色に近く違和感を感じてしまったことから購入を見送ってしまいました…。

 

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長い前置きはさておき、今回は私の所有するTOMIXしなの鉄道115系を紹介していきたいと思います。

ここで各編成ごとの解説前に、手をかけたこだわりポイントも書いてみようかと思います。

 

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まずドアには銀河モデルの半自動把手インレタを必ず貼り、現車の姿を再現しています。

乗務員室扉の窓にも表記を貼ったり、トイレタンクの残存するクハにはパーツを奢ったりと、実物の持つ最低限のイメージをなるべく損なうことのないように加工してみました。クモハの前面にはKATOのジャンパ線と、GreenMaxの貫通ホロを取り付けてあります。

また元々塗られているS9編成(自強号色)以外は、おでこの滑り止めを塗装で再現してあります。

動力に関してはM-9モータは信頼性に劣ることから、それを装備した編成はM-13モータへ換装しました。

 

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S1編成

1978年1月 日本車輌

クモハ115-1004+モハ114-1007+クハ115-1004

 

開業時に転入した編成で、モト区時代はモトR1編成でした。

模型は現在のしな鉄色を纏う仕様です。

現在発売されているものに素直にS1編成の番号を貼っただけです…。

 

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S5編成

1980年2月 近畿車輛

クモハ115-1069+モハ114-1166+クハ115-1212

 

こちらも開業時の転入で、モト区時代はモトR6編成でした。

譲渡後にリニューアルを施行されなかったことから、2013年にナノ区から転入された編成に置き換えられて初の廃車となってしまいました。

模型はガンメタ地の旧しな鉄色を纏う仕様で、いわゆる旧製品です。動力やライトユニットは現行品と同等品に交換してあります。

 

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S7編成

1978年3月 日本車輌

クモハ115-1018+モハ114-1023+クハ115-1017

 

やはりこちらも開業時の転入で、モト区時代はモトR13編成でした。

2017年の信州ディスティネーションキャンペーンに合わせて旧長野色へと戻され、現在に至ります。

模型はS15編成とセットで発売された特別企画品です。

 

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S9編成

1978年5月 日本車輌

クモハ115-1527+モハ114-1048+クハ115-1223

 

今現在所有しているものでは、これが最後のモト区より転入した編成で、モト区時代はモトR16編成でした。

2018年に台湾の特急型電車EMU100型電車を模した塗装で出場し、しな鉄色よりも派手な塗装で文字通り異彩を放っています。

模型は一昨年に特別企画品として発売されたもので、元からM-13モータを装備したいるものです。

 

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なお、この編成のクモハは先頭車化改造車*2なので、前頭部のベンチレータがオリジナルのに比べて1つ少ないのが特徴です。

 

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S15編成

1978年2月 東急車両(現:総合車輌)製

クモハ115-1015+モハ114-1020+クハ115-1014

 

こちらは北しなの線開業に合わせてナノ区より転入したもので、ナノ区時代はN13編成でした。ナノ区におけるこれの1つ前の編成ことN12編成はS12編成として転入しておりますが、ナノ区時代の姿がKATOから模型化されております。

転入以来ずっと新長野色のまま活躍していた編成で、今年の4月に惜しまれながら廃車になってしまいました。

模型はS7編成とセットで発売された特別企画品です。

製品化当時はしな鉄ロゴが貼ってあったので、模型でもその姿になっています。後に剥がされた上で純粋な新長野色として活躍していました。

 

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以上、現在所有しているTOMIXのしな鉄115系の紹介でした。

KATOの特別企画品と競合してしまいますが、湘南色やスカ色を纏う編成や、コーララッピングのS11編成などの製品化にも期待したいですね。

*1:現、松本車両センター

*2:モハ115-1012を種車に長野工場にて改造したもの

長野電鉄の長野市内線計画

さて皆様は、かつて長野電鉄長野市街地に軌道線(路面電車)を敷設しようと計画していたことはご存知でしょうか…?話だけを聞くと、走ルンですが勝手に妄想しているだけなんじゃないか?と思いたくなりますが、実は本当に敷設することを考えていたのです。

 

時は1923年のこと。当時長野市への進出を虎視眈々と狙っていた、一つの電鉄会社が中信地方にありました。その名を筑摩電気鐡道といい、後に松本電気鉄道を経て、現在はアルピコ交通として、信州全土にトロピカルな白いバスを走らせているあの会社です。この電鉄は同年12月に松本と長野を結ぶ鉄道路線建設の足掛かりとして、長野市の中央通に軌道線を敷設したいと申請を出したのです。

それに驚いたのは設立したばかりの長野電気鐡道、現在の長野電鉄でした。この当時はまだ権堂~須坂間の敷設準備に追われており、このことは寝耳に水的な出来事だったそうです。そして自分の営業圏内である長野市を、中信地方からのこのこ出てきたよそ者に盗られてたまるか!と言わんばかりに、1924年1月に同じ中央通りに軌道線の敷設を申請しました。

こうして筑摩電気鐡道対長野電気鐡道の市内線計画を巡る争いが勃発し、そこへ長野市も市電敷設を計画したことによって、この争いは三つ巴となってしまいました。

このとき筑摩電気鐡道や長野市に対する牽制として、長野電気鐡道は善光寺環状線計画を1924年7月に発表し、そのうち長野~上山田間の路線を同年8月に申請するなどしているのですが、それはまた別のお話です。

 

さて、善光寺環状線計画の長野~上山田間が申請されたのと同じ月に、長野電気鉄道は新たな市内線計画も申請しています。これは長野電鉄創立60周年を記念して発刊された「長野電鉄60年のあゆみ」によれば、次の2路線が申請されています。

市内回遊電車のほうは、二つの路線を計画していた。一つは、末広町を起点にし、大正町・寿町・旭町・西長野・狐池・花咲町・西之門町・元善町・東之門町・淀ヶ橋を経て城山下(旧善光寺下駅)停車場に連絡する路線、もう一つは、寿町より分岐して後町、問御所・千歳町・緑町を経て末広町の長野停車場に至る路線である。

 

引用:長野電鉄60年のあゆみ(1981)

同誌によれば、この計画は善光寺環状線計画と共に沿線民からの期待は高かったようで、沿線町村の代表が敷設促進のために会社へ陳情するなどしたそうで、後の長野電気鐡道と河東鐡道の合併機運を高めるきっかけになったそうです。

 

閑話休題。この「60年のあゆみ」に掲載された1924年の市電計画ですが、恐らく県外の人にとっては、一体どこへ敷設を目論んでいたか見当がつかないものと思います。

そこでGoogle MAP上に路線図を敷設できるサイトの「空想鉄道」を用いて、どんな感じになったのか再現してみました。

 

 

「60年のあゆみ」に記載があった場所を元に打ち込んでみたものの、詳細なルートまでは記載がなかったため、一部想像で作図しています。停留所はどこへ設置されるかという情報もないため、ひとまず主な経由地のみを停留所の代わりに打ち込んであります。

この当時の長野市ですが、まだ長野電鉄長野線は開業しておらず、長野大通りなど一部の通りも存在していませんでした。更に裁判所などをはじめ、一部の施設は現在とは異なる場所に所在していたことにも注意が必要になってきます。

長野駅前は2路線が離れているため、甲線(青色)と乙線(赤色)は環状線としての運転ができない線形となっています。しかし環状線にすると市内回遊電車の利便性が増すため、場合によっては後に環状線へと修正されていた可能性も考えられます。

 

さてこの市内回遊電車ですが、実際に開通していたらどうなっていたでしょう。まず通る予定の道がほとんど狭いもので、昭和30年代のモータリゼーションの影響で他都市同様に廃止されていたものと考えられます。そうでなくとも地元民による反対の影響から、市内の目抜き通りである中央通を迂回するような線形であるため、繁華街への利便性も劣ってしまうことが考えられます。そのため開通したとしても、状況によってはその経営に苦労していたことが考えられます。

また長野電鉄長野線と平面交差するところが2ケ所ほど出てきますが、長野線の架線電圧は直流1500Vであるため、軌道線の電圧が600Vであった場合は架線の処理などが大変なことになりそうです。イメージ的には山陽電車神戸市電の平面交差のごとく、軌道線側を死電区間として処理する形になるのかと思います。

 

以上、長野電鉄による長野市内線計画のお話ですが、もっと深堀すれば様々な事実が出て来ることが考えられます。先にお目にかけた善光寺白馬電鉄小史同様に、今後も調査を進めていきたいと思います。

アルピコ交通若槻営業所(2012年6月 その2)

前回の記事の続きになります。

画像フォルダより、別の日にアルピコ交通若槻営業所を訪問した際の様子を紹介したいと思います。

敷地内の撮影は職員さんの許可を得てから行っています。

 

 

こちらは車庫を出てすぐの道を走行する、元川崎鶴見臨港バスの日野ブルーリボン:40639号車です。

 

 

前回も留置されていた元横浜市交通局(横浜市営バス)の三菱ふそうニューエアロスター:40917号車です。

 

 

こちらも前回留置されていた元川崎市交通局(川崎市営バス)の富士重工7E+いすゞの40759号車です。

 

 

こちらは元国際興業いすゞキュービック:40630号車です。

緑系の内装に元事業者の面影を感じますね。

 

 

こちらも前回留置されていた元山陽バスいすゞキュービック:41061号車です。

 

 

こちらは元東京都交通局(都営バス)の日野ブルーリボン:40500号車です。

前回紹介した40508号車共々、数ヶ月後に元京王バスのニューエアロスター:99416号車へ置き換えられてしまったため、廃車直前の最後の姿ということになります。

 

都交時代にはみんくるが貼られていたであろう場所には、善光寺のステッカーが貼られているのが素敵ですね。

 

 

この車両はアルピコ系列のスーパー・アップルランド(デリシア)で使われた天ぷら油を燃料に使用したBDFを用いており、「天ぷらバス」の名で親しまれていました。

 

 

側面にはかつての主力車・エアロスターKのイラストが描かれていました。

 

 

側面のステッカーは貼り直した形跡がありますが、これは走行試験において燃料におけるBDFの割合を徐々に増していった事によるものです。

後継の99416号車は当初よりBDF100%で走行しております。

 

 

出庫の時間になって出てくるところも撮影していました。

元都営ということもあって、端正なデザインがかっこいいですね。

アルピコ交通若槻営業所(2012年6月 その1)

こちらも画像フォルダより出てきたもので、2012年6月下旬ごろにアルピコ交通若槻営業所を訪問した際の様子です。

敷地内の撮影は職員さんの許可を得てから行っています。

 

 

バス停のある位置から構内を見た様子です。

砂利が敷き詰められた構内にバスがずらりと並んだ様子は見応えがあります。

 

 

東京都交通局(都営バスの)日野ブルーリボン:40508号車の出庫シーンです。

この数ヶ月後に京王バスから転入した三菱ふそうニューエアロスター:99415号車に置き換えられて廃車されてしまいました。よってこれが最後の活躍になります。

 

 

周囲の道路から見ると、いかにも田舎の小さなバス車庫の風情があって楽しい場所でした。

以下、訪問当日の構内に留置されていた車両たちです。

 

 

川崎鶴見臨港バスの日野ブルーリボン:40639号車

長野市街地の路線では主力の一翼として活躍した臨港ブルリですが、現在は全車が鬼籍入りしてしまいました。

 

 

山陽バスいすゞキュービック:41061号車

前中扉を持つワンステップ車です。2022年6月現在も活躍しているそうです。

 

 

川崎市交通局(川崎市バス)の富士重工7E+いすゞ:40759号車

4両のみの少数派だった川崎市バスからの7Eです。割と最近まで現役で走り回っていました。

 

 

横浜市交通局(横浜市営バス)の三菱ふそうニューエアロスター:40917号車と40918号車

2009年に転入してきた車両です。40917号車が標準尺なのに対し、40918号車は短尺という差異があります。他者へ移籍した横浜市営の中古車同様、車内のあちこちに横浜時代の面影が残っています。

 

 

40917号車の車体には横浜市交通局時代に貼られたDPF(排気ガス浄化装置)のステッカーが剥がされずに残されています。

長野へお越しの際に40917号車を見かけた際は、ぜひ注目してみてくださいね。